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原晋の青学大でも、駒澤でもなく…高校No.1ランナーはなぜ“低迷していた”中央大に? 吉居大和が明かす“箱根駅伝への本音”「最初は駅伝に興味なかった」
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph byNumber Web
posted2025/01/18 11:04
中央大時代、エースとして箱根駅伝で区間賞を2度獲得。現在はトヨタ自動車に所属する吉居大和
「箱根駅伝というか、駅伝には興味がなかったんです。小さい頃に箱根を熱心に見ていたわけでもないし。自分の中で、駒澤とか青学のように『常に箱根で上位であること』の優先度は高くなかった。だからそこは気にしなかったです。駅伝は、まあ走れればいいかなぐらいだったので」
この時点で吉居が描く将来像はこうだった。大学で5000m、実業団で1万m、最後にマラソンで勝負する。だが、そのプランは大きく変わっていくことになる。
「大会に出れば新記録」大学1年の快進撃
「正直、自分でもわからなかったんです。なんでこんなに走れちゃっていたのか」
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吉居がそう振り返るのは大学1年時のことだ。7月に北海道で行われた記録会(ホクレン深川)で5000mの自己新となる13分38秒79を出せば、同月の記録会で新たに13分28秒31。それまで佐藤悠基(東海大)が持っていたU-20のレコードをあっさり更新する。初のハーフマラソンとなった10月の箱根駅伝予選会では、全体10位となる1時間1分47秒。U-20歴代2位タイの記録だった。「ハーフの練習はほとんどやっていなかった」と語るように、ほぼぶっつけ本番でこの数字を出したことになる。さらに12月の陸上日本選手権も5000mで社会人を相手に3位入賞。13分25秒87でU-20を再び更新した。大会に出るたびに新記録が生まれる。そんな状態だった。
当時の自信をうかがえるコメントがある。12月に箱根駅伝への意気込みを聞かれた吉居は、こう答えている。〈どの区間でも区間賞、ラストでも勝ちきれるように頑張りたい〉(デイリースポーツ/2020年12月18日)。記録を見れば自然な心境だったといえる。
「1年生のときは練習も積めていなかった。だけど、大会でなぜか勝てる。調子が悪くてもなぜか記録が出る。それがずっと続いていたので箱根も大丈夫だろうと。20kmの練習はできていなかったんですが、16kmくらいまで走れればラストは粘れる。そう考えていました」
結論から言えば、初の箱根は区間15位に終わる。吉居の生命線と思われていたラストで失速した。
「自分のものとは思えないぐらい体が動かなくなった。ショックでした」
理由はわからないが結果は出る――1年時の箱根を境にして、その現象は途絶える。のちに吉居は“快進撃”が続いた大学1年時を、猛烈に悔いることになる。
〈つづく〉