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青学大“原チルドレン1期生”の本音…原晋監督の実像とは?「あの頃はおしゃべり好きなおじさん(笑)」箱根駅伝に出られなかった4年間の“本当の意味”
posted2025/01/14 11:02
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
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「あの頃の監督はおしゃべり好きなおじさん(笑)」
2008年の学連選抜チームの活躍は話題となり、にわかに原監督の手腕にも注目が集まった。だが、横田さんの監督評は、意外なほど辛口だ。
「結果的には、チームとして出ていないですからね。今でこそ雲の上の存在になってしまいましたが、あの頃の監督はどこにでもいるおしゃべり好きなおじさんと一緒(笑)。まだ選手たちも、監督の実力についてはどこか半信半疑だったんじゃないですかね。今の状況を想像できた人なんて誰一人としていないですよ」
こう言って笑えるのも、何者でもなかった頃の原監督を知る、1期生の特権だろう。
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続けて、こんな持論を話す。
「あくまでも素人の個人的な意見ですけど、名指導者といわれる方の多くはそういう道をたどるんじゃないでしょうか。僕は高校時代の川口(孝志郎)先生をすごく尊敬しているんですけど、先生も初めの頃は厳しかったと聞いています。でも、自分たちの頃はもう成熟されていて、高校生に自由な裁量を与えて、自分で考えさせる指導をしてくれたんです。それで糟谷(悟・駒澤大時代に箱根4連覇に貢献)先輩らを育てている。原監督が今のような選手の自主性を重んじる指導になったのは、自分たちが卒業してからじゃないですかね」
後輩に受け継がれた“笑顔のゴール”という伝統
学連選抜チームが4位に入ったこともあり、翌年は予選会の通過枠が1つ増えた。85回の記念大会であり、この年は上位13校までに出場枠が与えられていた。青学大は13位(次点の法政大とは6秒差)。まさに薄氷を踏む思いだったが、33年振りに本戦復帰を果たした。
2009年の箱根駅伝、青学大は参加23チームのうち22位だった。途中棄権した城西大を除けば、成績は最下位。だが、アンカーの宇野純也(4年)がとびきりの笑顔でゴールしたこともあり、青学大には「楽しそうに走る」明るいイメージが作られていく。2年続けての笑顔のゴールが、その後のチームの礎になったとも言えそうだ。