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原晋の青学大でも、駒澤でもなく…高校No.1ランナーはなぜ“低迷していた”中央大に? 吉居大和が明かす“箱根駅伝への本音”「最初は駅伝に興味なかった」
posted2025/01/18 11:04
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph by
Number Web
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2022年の正月。テレビ画面越しを走る、ひとりの男から目が離せなくなった。21.3km の1区。出走後、300m付近で集団トップに現れる。5.5km付近、そのペースの異様さをテレビ実況が伝えた。〈区間記録を5秒ほど上回っています〉
「箱根1区で独走」吉居大和の衝撃
まだ序盤である。オーバーペースと察した20人のランナーは付いていくことを諦めた。集団からひとり飛び出す形になったその男、吉居大和はこう思っていた。
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「最初は15kmまで集団を引っ張っていければ、と。でも、途中から気持ちが変わりました。誰にも前を行かせたくないなって」
10kmの通過は27分58秒。吉居も思わず時計を二度見した。当時としては“後半でバテる”とされていた数字だった。〈速すぎると思う。そう簡単に持たんぞ〉。運営管理車の映像には、そう口にする青学大・原晋監督の姿が映っていた。テレビ解説者も絞り出すような驚きの嘆息とともに、呟くように言った。〈とてつもない、ペースですね……〉
17km付近から吉居の顔がゆがむ。が、最後まで駆けた。それまで15年間破られていなかった当時最古の区間記録を26秒も上回る、新記録だった。
2区以降のレースがしばらく頭に入ってこなかったことを覚えている。2022年1月2日の箱根駅伝1区、吉居が走った1時間40秒は、それほどに鮮烈だった。
あれから3年後の“1区”で…
2025年1月1日。吉居は再び1区を走っていた。実業団対抗によるニューイヤー駅伝である。3年経てど、レース序盤に集団から飛び出し、独走する吉居の姿が脳裏に残っていた。だからであろう。一度もトップに立たず、区間12位で終わったレースに物足りなさも覚えた。そして、吉居の表情は迷いがあるようにも、飛び出すことを恐れているようにも見えた。1月中旬、鹿児島・奄美大島の合宿中、本人に聞くしかないと思った。
そもそも吉居大和とは何者なのか。