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原晋の青学大でも、駒澤でもなく…高校No.1ランナーはなぜ“低迷していた”中央大に? 吉居大和が明かす“箱根駅伝への本音”「最初は駅伝に興味なかった」
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph byNumber Web
posted2025/01/18 11:04
中央大時代、エースとして箱根駅伝で区間賞を2度獲得。現在はトヨタ自動車に所属する吉居大和
吉居が「世代No.1」になるまで
陸上をはじめたのは中学時代だった。部活と並行して、地元・愛知の陸上クラブにも入会した。中学3年時、800mと1500mの全国優勝者がそれぞれ、同じ愛知にいた。そこへいくと中学時代の吉居は、全国大会にこそ出場するも予選で敗退。全国的な知名度は得ていなかった。
吉居の才能を見出したのは仙台育英高の監督、真名子圭(きよし)だった。愛知の陸上大会でのことだ。「僕目当てで訪れたわけではなかったみたいです。それでもレース後しばらくして正式にスカウトされて。決め手は面談時の直感でした」。県外の高校で唯一誘いがあった仙台育英に、進路を決めた。
真名子の言葉で覚えていることがある。
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「突っ込んで、粘って、ラストスパート」
真名子の口ぶりを思い出したのか、吉居は笑う。「言ってしまえば、ずっとダッシュみたいな感じです」。そのシンプルな教えがレースの指針になった。
高校1、2年時は故障に泣き、目立った成績は出していない。が、地道に練習を積めたことで「体ができていく感覚があった」。その結果が数字に表れる。3年時7月の宮城県選手権、5000mでその年の日本人高校生トップとなる13分55秒をマークしたかと思えば、夏のインターハイで日本人高校生最高の3位に。エースとして臨んだ全国高校駅伝も制した。吉居の名が陸上界に広がった。
青学大でも駒澤でもなく…なぜ?
強豪大はこぞって、世代No.1ランナーの獲得に乗り出した。原晋の青学大も、大八木弘明の駒大もいた。しかし、吉居が選んだのは中央大だった。
「真名子監督と初めて話した時のインパクトが残っていて。なかなかそれを上回る直感がなかったんです。ただ、真名子監督と同じ実業団だった藤原さん(正和/中央大監督)に会ったとき、僕のことを一番欲しいと思ってくれていると感じて。それが大きかったですね」
陸上大会としての規模、人気ともに最大の箱根駅伝に限っていえば、吉居の高校3年時(2020年)は青学大が総合優勝している。対して中央大は12位。シード権すら失っていた。