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「このままじゃ16人にも入れないよ」原晋監督の“厳しさ”を実感した青学大キャプテン「泣きましたね…あの時は」“どん底”の1年前から笑顔で引退するまで
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byKiichi Matsumoto
posted2025/01/04 11:00
9区を任された青学大キャプテン・田中悠登(4年)。原監督の乗る運営管理車を背に区間2位で好走した
やらかし。それは陸上競技の隠語で予定された練習メニューをこなせなかったり、駅伝で番手を大きく落としてしまうことを指す。ところが、田中の“やらかし”は違った。
「練習で想定以上に調子が良すぎたんです(笑)。出来が良すぎて、監督から『こりゃ、9区だな。10区じゃもったいない』と言われてしまい、9区に決定(笑)。自分の状態が良すぎて、ラストランのイメージが狂ってしまいました」
なんとも、ポジティブな青山学院大らしいエピソードだ。
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そして迎えた箱根駅伝。青学大は往路優勝し、総合優勝に限りなく近づいた。9区を走ることになった田中は主務の片桐悠人から、「お前が作ったチームだから、自分が優勝を決めてこい」とのメッセージをもらっていた。
「キャプテンとして苦しかったこともたくさんあったんですが、片桐からの言葉と、そして監督からもラスト3kmのあたりで、『ここからの走りで優勝決めるぞ!』と言ってもらって、残り3km、ラスト1kmで力を出し切ることが自分の仕事だと思いました」
田中は区間2位の走りを見せ、2位の駒大との差を2分21秒にまで広げて、優勝を決定づけた。キャプテンが優勝を引き寄せたのだ。
原監督に「コーヒー飲みませんか?」
振り返ると、この1年は故障の連続だった。
前回大会では12月29日に区間エントリーが発表された後、どうにも下半身の痛みが我慢できなくなり、泣く泣く「無理です」と監督に告げざるを得なかった。
「泣きましたね。あの時は」
田中が苦労したのは故障だけではなかった。ポイント練習と、重要なアナウンサー試験の日が重なることもあった。どちらを取るべきか、就職活動の悩みを聞いたこともあった。
原監督は、田中のキャプテンシーをこう語る。
「地元の福井に帰って、アナウンサーになる人材ですから、言葉には意識を持っています。あと、大人との距離感の縮め方が上手じゃないかな。物怖じしないところがあって、それは取材しているみなさんも感じていることかもしれないし、社会人になってからも武器になるでしょうね」
そうした監督の言葉を聞いていたので、田中にどういうスタイルで監督と接しているのか、質問したこともある。
「監督にですか? 寮で朝ごはんの後に『コーヒーを飲みませんか?』と自分からお誘いして、話す機会をいただいたりしています。キャプテンだから出来ることかもしれませんが、監督がどんなことを考えているのか実際に話を聞けるので、勉強になります」
原監督のボヤキ「4年生が甘い」
こうした距離の縮め方は、田中の特色である。田中はキャプテンに自ら立候補したが、それは理想のチーム像を持っていたからだ。
「僕たちの学年は個性が強いので、思ったことを腹にためず、どんどんオープンにして欲しいと思ってました」
雰囲気作りは順調だったが、やはり危機はあった。