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「泣きそうですもん…こんだけ時間が経っても」24年前の箱根駅伝“10区逆転”を許した駒大ランナーの胸の内…紫紺対決“伝説の逆転劇”を振り返る
posted2025/01/03 11:02
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
(L)Sankei Shimbun、(R)JIJI PRESS
愛知県庁近くのコメダ珈琲店だった。ポータブルDVD再生機で当時の映像を見終えると、この物語の3人目の「高橋」の目は、心なしか潤んでいた。
「あれ以来、初めてですよ、映像を見るの。いやあ……きつかったですね。今、泣きそうですもん。こんだけ時間が経っても」
先頭での襷リレー…「驚きましたよ。えっ? て」
このレースにおいて、高橋正仁に追いつかれた高橋謙介以上に動揺したのは、駒大のアンカーで2年生だった高橋桂逸だったかもしれない。
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「そら驚きましたよ。えっ? て」
当時よりぽっちゃりとした桂逸は、セリフ通りの表情をしながら、正仁がトップで戻ってきたときのことを振り返る。感情が顔に出やすい質のようだった。
「中継所のテレビを観ながら、抜いてくるとは思っていましたけど。でも緊張していたのは初めての箱根だったということもあったと思います。“初”っての、苦手なんですよ」
県内トップの進学校、長野高校出身の桂逸は、駒大メンバーの中では珍しい一般入試組だった。補欠の1、2番手という位置づけだった桂逸は、この年、本番数日前まで自分が出場するかどうか半信半疑だった。
大八木は当初、前年のVメンバーのひとり、2年生の島村清孝に最終区を任せるつもりでいた。しかしその島村が故障で離脱。桂逸に頼らざるをえなかった。
桂逸のトラックのタイムは他のメンバーと比べてもほとんど遜色はない。だが、調子がよくなかった上、5日前に下痢を催していた。
さらに言えば、桂逸は「ひとりで走れない」ランナーだった。
「ひとりだとペースをつくれないんです。極限まで自分を追い込むことができない」
トップで襷を受けた場合、これは致命傷になりかねなかった。スタート直前、監督の大八木から携帯電話で「追いつかせろ」という指示があったのはそのせいでもある。いったん意図的に2番手に下がり、そこで粘って終盤に勝負をかけるという作戦だった。