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「泣きそうですもん…こんだけ時間が経っても」24年前の箱根駅伝“10区逆転”を許した駒大ランナーの胸の内…紫紺対決“伝説の逆転劇”を振り返る
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by(L)Sankei Shimbun、(R)JIJI PRESS
posted2025/01/03 11:02
最終10区までもつれた2001年の箱根駅伝での紫紺対決。順大・宮崎展仁と駒大・高橋桂逸の勝負の行方は意外なほどあっさりと決着した
ところが、その作戦もいきなり頓挫した。
「緊張で足がフワフワしていて、最初の1kmを2分50(秒)ぐらいで入っちゃった。速過ぎた。それで一層硬くなっちゃったんです。やっちまった……って」
ただし、この記憶は定かではない。桂逸と17秒差で襷を受け取った順大のアンカー・宮崎展仁にこの話を向けると、「そんなに突っ込んでるイメージはなかったですけどね」と首を傾げた。
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「自分の入りの1km、2kmは、時計で確認していて、3分をちょっと切ったぐらい。2分50秒で行かれたら、あれ、ってなるはず」
宮崎は2、3年時に続いて、この年も10区を任されていた。いわば10区のスペシャリストだ。両者の立場、経験の違い等を考え合わせると、つい宮崎の言葉を信じたくなる。
一方、その宮崎に対する澤木の指示はほとんどなかったという。
「任せた、ぐらいでしたね。いつもだったら最初の1kmはどれぐらいで入れとか、細かい指示があるんですけど。謙介が抜かれて、余裕がなかったのかもしれません」
冷静だった順大アンカー・宮崎の「思惑」
だが、謙介を追いかける正仁がそうであったように、桂逸に対し追う立場にあった宮崎は心憎いまでに冷静だった。
「調子はよかったので、自分のペースで走ろう、と。追いついても最後に離されたら意味がないですし。1秒差でも優勝は優勝ですからね。それを頭に入れつつ、勝負できる展開に持って行かなければと考えていました」
しかし、桂逸のペースは余りにも遅過ぎた。大八木は走り始めてすぐ、逆転を覚悟した。
「指導者はだいたいわかっちゃう。これは抜かれるな、って」
案の定3km過ぎに2人の差はなくなり、6km手前で桂逸が遅れ始めたのを見て宮崎がペースを上げると差はあっという間に広がった。
宮崎はここで勝利を半ば確信した。
「彼も絶好調ではなかったんでしょうね。駒澤は練習量が豊富なチームですから。あれぐらいのペースアップで離れてしまうというのはちょっと考えられない」
そこからの桂逸は「苦しかったことしか覚えていない」と声を震わせる。
「呼吸も最初から最後まで安定しないまま。足が完全に止まってましたから……」