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クラッシュ・ギャルズよりも“米国で大人気”だった日本人女子タッグとは? WWEが特別扱い、JBエンジェルスはなぜ人気絶頂で“帰国”したのか―2024下半期読まれた記事
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2024/12/28 06:28
山崎五紀(左)と立野記代のJBエンジェルス(1986年撮影)
なぜ…全女からの“突然の帰国命令”
しかし『レッスルマニア4』直前になってJBエンジェルスに急に全女から帰国命令がくだってしまう。この時期、全女はデビル雅美、ダンプ松本、大森ゆかりの3人が相次いで引退。その穴埋めとしてJBが呼び戻されたのだ。
当初、JBの帰国はあくまで一時的なものだったが、全女の松永兄弟が『立野と山崎ばかり行かせられないから、今度は他の選手を行かせる』と言うと、WWEは『もうエンジェルスでマッチメイクが決まってるから、他の日本人は入れない』と拒否。結局、けんか別れのような形で、全女とWWEの関係も切れてしまった。
こうしてJBエンジェルスの『レッスルマニア4』出場は消滅した。しかし、あまりにも惜しい話だ。なぜなら全女はアメリカでトップに立ったJBを必要として呼び戻したのではなく、単なる員数合わせだったからだ。
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その証拠に当時、全女の広報だったロッシー小川(現マリーゴールド代表)が、JBをパンフレットの表紙にすると、その見本刷りを見た全女の松永高司会長は「JBなんか、売れるわけねえだろ!」と激怒。ポスト・クラッシュとして売り出そうとしていたファイヤージェッツ(堀田祐美子、西脇充子)に表紙を差し替えさせた。全女の首脳陣は、WWEでトップを張ったJBエンジェルスの価値をまったくわかっていなかったのである。そして翌’89年のクラッシュ・ギャルズ引退とともに、全女は長い低迷期間に入るのだ。
WWEへの道を拓いたパイオニア
JBエンジェルスがWWEで活躍した期間はわずか6カ月。しかし、アメリカの女子プロレスに変革をもたらし、日本人として初めてWWE世界女子タッグ王者になった実績は永遠だ。
現在、WWEマットではイヨ・スカイ、カイリ・セイン、ASUKAが大活躍。WWE入りしたばかりのジュリアもNXTでトップクラスの扱いを受けるなど、日本人女子レスラーへの評価は極めて高い。JBエンジェルスはそのパイオニアとして、近い将来きっとブル中野に続く日本人女子レスラー2例目のWWE殿堂入りをはたすだろう。