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「さすが怪物ですね」テレビ解説も驚愕…無名の新興校“100年に1人の逸材”が見せた伝説の区間新…26年前、全国高校駅伝“奇跡の初出場4位”ウラ話
posted2024/12/22 06:04
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
Getsuriku
「おい、あれ西脇工業じゃん! 大牟田もおる!」
1998年の全国高校駅伝。12月下旬の大会前日に行われた開会式で、初出場だった長野県代表の佐久長聖高校のメンバーたちは、それまではテレビでしか目にしたことのない強豪校の姿にはしゃいでいた。
当時のキャプテンだった松崎雄介が振り返る。
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「もう憧れの高校がたくさん会場にいて。みんなで感動していましたよね。『うわっ、見たことあるユニフォームのチームがいる!』って」
高校側が校名変更を契機に両角速監督を招聘し、「5年で都大路」を目標に強化をはじめて4年目。ようやく初の全国の舞台にたどりついたオレンジ色のユニフォームの面々は、もはや半分……どころか9割方、目標を達成してしまっていた。
「とにかく全国高校駅伝に“出る”ことを目標に、長距離経験者が半分もいないような寄せ集めのメンバーで3年間やってきましたから。前の年に出ていた長野代表の高校が10番台で、地元紙ですごく大きく特集されていたんです。だから、『俺たちも10番台だったら快挙だよな!』とか話していたと思います」
全国大会への意気込みは…「正直、全然なかったです(笑)」
全国の強豪を相手取っての上位進出など、夢のまた夢。30番台、40番台も当然のようにあると思っていたという。
「そこで戦おうなんて気持ち、正直、全然なかったですよ(笑)。それでも初出場だし許してもらえるだろうとか、そんなことを考えていましたね」
実は客観的に見れば、当時の佐久長聖の走力は全国でも上位のレベルに達していた。
登録メンバーは全員5000mで14分台の記録を持ち、翌年の世界陸上に高校生ながら出場することになる佐藤清治という全国トップ級の“飛び道具”まで擁していた。