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同期に「観察日記」をつけられ…長与千種が明かした“壮絶なイジメ”の記憶「おまえ、負け犬になんのか」クラッシュ・ギャルズ結成前の知られざる苦悩
posted2024/09/22 11:03
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
L)AFLO、R)Shiro Miyake
女子プロレスラー史上、長与千種ほど強烈な光を放つ者はいない。そう断言できるほど、置かれた場所で咲きつづけた。
80年代には、ライオネス飛鳥とのクラッシュ・ギャルズで大ブームを巻き起こした。90年代初頭には、“鬼才”つかこうへい(享年62)が長与のために書き下ろしたオリジナル作「リング・リング・リング」の舞台と映画で、主役を演じた。選手復帰後の94年に創設したGAEA JAPANは、故郷で老舗の全日本女子プロレス興業(全女)をしのぐNo.1の女子プロ団体になった。2度目の引退後の05年以降は、起業家として多ジャンルのビジネスを手掛けた一方で、16年に代表を務めるMarvelousを旗揚げした。エンターテイナーの世界に身を置いて、来年で45年。セルフプロデューサーとしては、達人の域に達した。
しかし、光があるところには影がある。
長与千種の影は、予想以上に“黒い”ものだった。
◆◆◆
長与 15歳で(地元の)長崎から上京して全女に入ったときって、テレビで見てた、雑誌で見てた世界とはまったく違って、ビューティ・ペアさんという大ブームが去ったあとで、お客さまが会場に、ほんとにひどいときなんかは10人とか20人ぐらいしかいない。華やかな世界で歌を歌ってて、キラキラのコスチュームを着てたはずなのに、そういうところではなくって、どす黒い、そんな環境にポンと入って、でもそこで生きていかなきゃいけない。
――千種さんは全女を「モンスターファクトリー」と形容しますよね。そのファクトリーで生き抜いていくためには、15歳の少女もモンスターにならなければいけないわけで。
長与 対応できたわけじゃなくって、せざるを得なかった。うん。プロレスラーになりたかったから、もうそれは仕方ないかなというところでしかなかったから。
――どう対応したんですか。
長与 それぞれの人たちがね、違う主観を持ってると思うんだよね。自分が変わった瞬間、ターニングポイントっていうのは、いくつかあって。んー……、子どもなりのいじめられ方をしてた、っていうのかな。
同期に書かれた「長与千種の観察日記」
――話しても苦しみがフラッシュバックしないのであれば、教えてもらえますか。
長与 いま考えるとくだらないんだけど、“観察日記”みたいなのをつけられててね。あんまり言わないんだよ、こういうこと。いま、初めて言うことだと思う。長与千種の観察日記みたいな感じで、一部の同期が書いてたんだよね。