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わずか4年で戦力外通告「マジか…もう1年やれるかと」まさかのドラフト指名漏れも経験、元中日・岡野祐一郎が初めて語る“スカウトに転身を決めた日”―2024下半期読まれた記事
posted2024/12/21 06:01
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
NumberWeb
2024年の期間内(対象:2024年9月~2024年12月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。大谷翔平世代部門の第4位は、こちら!(初公開日 2024年9月21日/肩書などはすべて当時)。
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大学卒業後も岡野祐一郎は歩みを止めなかった。実は企業チームを選ぶとき、そのことで大学の恩師と衝突している。
岡野のもとには複数のチームから誘いがあった。恩師はその中でも今、もっとも有力な会社への就職を勧めてきた。だが、そのチームには絶対的なエースがいて、しかも自分とタイプが似ていた。そこだと自分を生かし切れないと考えた岡野は、自分がもっともフィットしそうな東芝を選んだ。恩師は反対したが、岡野は譲らなかった。
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「出番がなかったら、プロに行けないですから」
「自殺の心配も…」ドラフト指名漏れ
大学経由で社会人野球に進んだ選手は2年目からドラフト会議で指名を受けることができる。その社会人2年目、東芝でも目論見通りエースとして活躍していた岡野は、ある球団から4位までには指名すると告げられていた。担当スカウトは青山学院大の先輩でもあったため、岡野はすっかり信じ切っていた。しかし最後まで岡野の名前が呼ばれることはなかった。
その日の夜は会社の同期が飲みに連れ出してくれた。岡野は恥ずかしそうに思い出す。
「今日のことを忘れるぐらい飲もうみたいになって、次の朝、寝坊してしまって。それまで会社に遅刻するなんてことはなかったので、同僚には『自殺とかじゃなくて本当によかった』って言われました」
しかし、その1週間後ぐらいには、岡野はまた歩き始めていた。