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「なぜ“100年に1人の天才”がわざわざ無名校に?」全国高校駅伝26年前の奇跡…「1日60km走ったことも」駅伝弱小県の新興校が“超名門”になるまで
posted2024/12/22 06:03
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
JIJI PRESS
1997年の春、2年生になった松崎雄介たち佐久長聖高駅伝部の1期生のもとには、大きな変化が起きていた。
ひとつめの大きな変化は、6人の新入生が入部したことだ。しかもその中には、両角速監督をして「100年に1人」といわしめた逸材がいた。彼の名は、佐藤清治と言った。
佐藤は中学時代から中距離種目の全国大会で優勝経験があり、記録的にも松崎たちの代とは一線を画す、本当の意味での全国トップ選手だった。その前評判に違わず、1年生にして1500mでインターハイを制すると、後には800mから5000mまでの4種目で高校記録を更新する驚異的な実績を残すことになる。
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そんな俊才がたまたま高校と同じ地域に住んでいたことに加えて、実兄が佐久長聖の陸上競技部に所属していたこともきっかけとなり、まだまだ無名だった駅伝部に入部することになったのだ。
無名校に突如現れた「天才」…チームメイトの反応は?
通常、後輩にそんな「天才」を目の当たりにすれば、他の選手は彼我の才能の違いに絶望してもおかしくない。自分と比べることすらできず、別枠の選手と捉えてしまう可能性も十分にあった。
だが、幸か不幸かこの時の松崎たちは、本格的に競技をはじめて1年あまり。まだ、いい意味で「素人感」が残っていた。元々は短距離種目出身の松崎はこう振り返る。
「もちろん清治がすごい才能を持ったランナーだというのは分かりました。でも、だからと言って自分たちとは違う、絶対に勝てない存在だとも思わなかった。というか、実力を測れるだけのモノサシが無かったんです(笑)。そもそも全国トップレベルの選手を知らないので、清治がその中でもとんでもない能力を持っているということが分からなかったんですよね」
中学時代はスキー部だった小嶋卓也も振り返る。
「もちろんスピード面でとんでもない能力があるのはすぐ分かりました。それでもスピードで勝てないなら距離走では勝ってやろうとか、このポイントでは負けないようにしようとか、そういう負けん気はみんなありましたね。変に清治を特別視することは全然、なかったです」
「別格」ではなく、あくまでも強力な後輩で、チームメイトのひとり。
「たまたま速いやつがはいってきたんだなぁ……くらいの感覚しかなかったんです。いい意味でまだちゃんと上下関係もあった時代でしたから、普通にみんな先輩・後輩として清治と接することができていました」