スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
「おおおぉぉぉ」ラグビー早明戦、なぜ名勝負が生まれるのか? 第100回を終えて考える“赤黒”と“紫紺”の歴史「解説席の五郎丸も田村優も…」
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/12/08 17:00
40554人の大観衆が詰めかけた国立競技場。記念すべき100回目の大学ラグビー早明戦は、早稲田に軍配が上がった
北島忠治、明治を体現した人。
なんと、1926年第4回早明戦のメンバー表にその名前がある。選手としては1928年に早稲田に勝つ。実はこれ、第6回にして明治にとって早明戦初勝利。その翌年の1929年、大恐慌が始まった年からは明治の監督になった。
北島監督には何冊か著書があるが、体系だったラグビー哲学を説いたものはない。北島の場合は「語録」がメインであり、1996年に亡くなった後、その教えを受けた「使徒たち」が解釈してきたが、皆が神髄を伝えたかというと、必ずしもそんなことはない。
ADVERTISEMENT
明治にとって幸いだったのは2018年に田中が監督になったことだ。田中が最後の使徒だと思ったのは、対談の中にこんな発言があるからだ。
「北島先生は自分が2年になってからグラウンドにもう出られなくなって。1年のころに、いきなりロッカールームに入ってこられて話をする。そのときは『ああ、明治に入ったんだ』と感じました。早稲田や慶應に対するリスペクトを意識させられた。北島先生がいなくなってそれがなくなりました。だから学生のころは深くはわからない。監督になって対抗戦の歴史を学び直しました」
早稲田と慶應への尊敬。他校をリスペクトすることで、田中政権下の明治は強さを取り戻した。ライバルを知って、明治の強みに立ち返った。
そして清宮も、明治へのリスペクトを示し、こう語る。
「スイッチが入って噛み合うと、とんでもない力を発揮する。めちゃくちゃ強い。でも集中しないとポロッと負ける。ファンにとっての『愛されキャラ』なんです。人間らしい。いまはムラのある試合はしなくなった。明治と早稲田の違いも昔ほどではない。それでも、あの紫紺のジャージーは100年以上の歴史を引き継いでいる」
赤黒と紫紺。
ふたつのジャージに歴史は刻まれている。
明治に浸透する北島哲学
ここからは余談である。
明治大学構内にある立派なリバティタワーに入った時のこと。トイレに入って驚いた。
「もう一歩 前へ!」
そう書いてあった。
北島哲学が、こんなところにまで浸透しているとは! 私は感嘆した。
もうひとつ。
第100回早明戦のあと、家に帰ってNHK、そしてJ SPORTSをチェックすると、最後に早稲田が必死に明治を押し出したシーンで、NHKで解説していた早大OBの五郎丸歩は、こう言った。
「いやああああ」
まったく同じタイミングで、明大OBの田村優は、こううめいた。
「ああああああ」
世界を舞台に戦ったふたりも、あの瞬間だけはひとりのOB。
早明戦は、人を純粋にさせる。
だから、尊い。