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小6で44歳の母を亡くして…『10年後の僕は日本代表に選ばれていますか?』李承信22歳が叶えた“卒業文集に記した夢”<ラグビーW杯>

posted2023/09/26 17:02

 
小6で44歳の母を亡くして…『10年後の僕は日本代表に選ばれていますか?』李承信22歳が叶えた“卒業文集に記した夢”<ラグビーW杯><Number Web> photograph by R)Kiichi Matsumoto

幼い頃の李承信と母の金永福さん(父・東慶さん提供)。在日3世である李は、朝鮮学校出身者として初のラグビー日本代表になった

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キム・ミョンウ

キム・ミョンウKim Myung Wook

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R)Kiichi Matsumoto

ラグビーW杯・決勝トーナメント進出に向けて、サモアとの大一番を迎える日本代表。今稿では22歳でメンバー入りを果たしたSO李承信(リ・スンシン)の素顔に迫る。幼い頃に母を亡くし、ラグビーに没頭した少年を支えた“10年後の夢”とは?〈全2回の1回目/後編を読む〉。

 親戚たちの前に立つ息子・李承信(リ・スンシン)の姿を見て、父・東慶(トンギョン)さんの目には涙がにじんでいた。

「妻が亡くなって去年でちょうど10年目だったんです。それで私と妻の身内に全員に声をかけて集まってもらった。私たち家族を支えてくれたから今がありますから……。感謝の気持ちを伝える会だったのですが、改めて本当にこれだけたくさんの人が助けてくれていたんだなと……」

 まだ22歳ながら、チームの司令塔としてラグビーワールドカップのメンバーに名を連ねた李承信。ジェイミー・ジョセフヘッドコーチからその能力を買われ、熾烈なポジション争いを勝ち抜いてきた。今大会は松田力也(29歳)の好調もあり、出場機会こそまだないが、次世代を担う司令塔としての期待は大きい。

 小さい頃から承信の成長を見守ってきた家族、周囲の人たちが囲む中、ただ1人、その場所にいなかったのは亡くなった母・金永福(キム・ヨンボク)さん。もしここにいたら日本代表になった息子にどんな言葉をかけただろうか――。その場にいる誰もがそんな想いで承信を見つめていた。

 会の最後、承信は昨年のフランス代表とのテストマッチで着用したユニフォームに自身のサインを入れてみんなの前で手渡し、こう語った。

「みんなに幸せを与えられるような人間になります」

 父・東慶さんはたくましくなった息子の姿に妻の面影を重ねていた。

ラグビーに囲まれて育ったスンシン少年

 承信は5人家族で、男3兄弟の末っ子。長男の承記(スンギ)は法政大学ラグビー部出身で、次男の承爀(スンヒョ)は帝京大学ラグビー部出身で現在はリーグワンの三重ホンダヒートでプレーを続けている。

 父・東慶さんも神戸朝鮮高級学校、朝鮮大学校ラグビー部出身で、社会人になってからも地元・兵庫県内の在日コリアンで作ったラグビーチームでプレーした。だからか、家にはいつもラグビーボールがころがっていた。

 承信は2人の兄と共に4歳から神戸のラグビースクールに通った。当時、朝鮮学校の小学生時代はサッカー部に所属しつつも、週に1回はラグビースクールに通う日が続いた。

【次ページ】 「学校にラグビーボールを持参して怒られていた」

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