ラグビーPRESSBACK NUMBER

「ショボすぎて僕だけ選ばれてませんでした」“足が遅かった160cmの少年”はなぜ日本代表としてオールブラックスと戦えたのか?

posted2022/11/09 17:00

 
「ショボすぎて僕だけ選ばれてませんでした」“足が遅かった160cmの少年”はなぜ日本代表としてオールブラックスと戦えたのか?<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

NZ戦に途中出場したPR竹内柊平(24歳)。日本代表としては異色のキャリアを歩んできた男は、夢のW杯にたどり着けるのか

text by

多羅正崇

多羅正崇Masataka Tara

PROFILE

photograph by

Kiichi Matsumoto

 体が小さく、足が遅かった。所属していたスクールで一人だけ選抜に選ばれなかった。そんな中学生が10年後、6万5188人の大観衆が見つめる国立競技場のピッチに立っていた。ラグビー日本代表として、あのニュージーランド代表“オールブラックス”と戦っていた。

 2012年、宮崎県宮崎市。

 ラグビー日本代表恒例のキャンプ地、宮崎の「フェニックス・シーガイア・リゾート」。そのホテル施設から眺望できる一帯の住宅街に、竹内柊平(たけうち・しゅうへい)という名の中学生が住んでいた。

 中学3年時の身長は、背伸びをして160cm。足も遅かった小柄なフッカーは、所属ラグビースクールで一人取り残される存在だった。

「宮崎は分母が少ないので、基本的にスクール生はみんな県選抜に選ばれるんですが、僕だけショボすぎて選ばれませんでした。一度セレクションに参加して以降、一度も呼ばれなかったです。同期からお前だけやん!といじられたりもしてました」(竹内)

 一本気な性格もあいまって小学6年から夢中になったラグビー。高校でも続けたかったが、県内トップ高のセレクションに落ち、他の強豪校からの勧誘もなかった。期待は落胆に代わり、やがて少年は暗い決断をするに至った。

「ラグビーやる意味ないなと思ってしまって。ラグビーは中学で辞めるつもりでした」

「この子はリーダーになってくれる」

 救いの手を差し伸べたのは、当時部員が15人に満たなかった少人数校、宮崎工業高の佐藤清文前監督(現・日南振徳高)だ。佐藤監督もラグビーの能力は高くない、と思った。しかし取り柄がないとは思わなかった。

「私は赴任1年目で、とにかくラグビー部の人集めをしたい一心で竹内に声を掛けました。確かに体は小さくて足も遅かったです。ただ明るい雰囲気作りが上手く、この子はリーダーになってくれるなと。それにまだ中学生ですし、どこで伸びるか分からないですよね」(佐藤監督)

 身体能力以外に着目した佐藤監督は、竹内に歩み寄り、声を掛けた。まさかその子がやがて宮崎工業初のトップリーガー、日本代表になるとは夢にも思わずに。

 勧誘された小柄な少年は感動に震えた。一途な性格に火が付いた。

「まったく取り柄がなかった僕を、佐藤監督は『ウチでラグビーしないか』と誘ってくれました。僕なんかでも声を掛けてくれるんだ、宮崎工業で絶対頑張ろう、と思いました」

【次ページ】 身長が20センチUP「ラグビー楽しいな」

1 2 3 4 NEXT
竹内柊平
日南振徳高校
宮崎工業高校
九州共立大学
浦安D-Rocks
斉藤展士
ジェイミー・ジョセフ
具智元
ヴァル アサエリ愛
垣永真之介
木津悠輔

ラグビーの前後の記事

ページトップ