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セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
「便器にトト…用足せねえよ!」磐田でボヤき、ドゥンガと釣り…スキラッチの“日本批評”はド直球だった「ヤナギサワの評価? 点取ってからだ」
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2024/09/29 17:03
2021年のスキラッチ。忌憚のない意見でサッカー界に物申した
母国イタリア向けメディアのどこをどう探しても“彼はイワタを愛していた”なんて薄っぺらい言葉は出てこない。その代わり、当時のジュビロ移籍について、現地紙はスキラッチのパイオニアとしての精神とプロサッカー選手としての計算高さを褒めちぎっている。
最初の1年半契約でジュビロから保証されたギャラは50億リラ(当時のレートで約3億1000万円)だった。インテル時代の3倍にあたる破格の報酬だ。日本行きに後ろ指を指した欧州のサッカー関係者や陰口を叩いていた同業者たちはさぞ悔しがったに違いない。
ゴールを追い求めたスキラッチは愚直どころか、日出ずる国で富を築き上げた成功者となって、母国イタリアへ帰っていったのだ。
引退後は指導者にならず、サッカー界に苦言を
97年の現役引退後、指導者の道は選ばなかった。
リアリティショー番組に出演したかと思えば、TVドラマでマフィアのボス役を演じて俳優業に挑戦したり、だが芸能活動に本腰入れたようにはついぞ見えなかった。
時折、代表OBとして近年のサッカー界に苦言を呈していた。
「今どきの現役選手たちがクラブの公式イベント以外でファンと直に触れ合おうとしないことを残念に思っている。俺自身は招かれれば有志のサポータークラブの会合に喜んで出席させてもらうが、選手がファンと同じ目線で知り合う機会が減ってしまったのは、昔と比べてサッカーが悪い意味で変わってしまったところだ。最近は若い選手が簡単に代表に呼ばれすぎだし、代表のユニフォームの価値が軽んじられている」
故郷パレルモでは、自身の名を冠したサッカースクールや移民少年たちによるクラブ運営に力を注いでいた。
自ら指揮官になって守備の戦術を考えたり、フロントや経営陣との折衝に頭を悩ませたりという柄ではなかった。本人にしてみれば、指導者になっても勝負のやり方は教えられない、と考えていたのかもしれない。
ヤナギサワはまだ0点? 話は点を取ってからだ
今から20年近く前、シチリア島にできたばかりの新スタジアムで取材をしていたとき、スキラッチと話をしたことがある。
当時、メッシーナでは日本代表FW柳沢敦がプレーしていて、古巣の後輩についてどう思うかと尋ねてみた。初対面だったのでお茶を濁されるかと思っていたら、スキラッチは直球の答えを返してきた。