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「高校生の大谷翔平が泊まったことも」「地下室でボールの弾み具合を…」“非公開”の高校野球本部「中沢佐伯記念野球会館」には何がある?

posted2024/08/12 17:01

 
「高校生の大谷翔平が泊まったことも」「地下室でボールの弾み具合を…」“非公開”の高校野球本部「中沢佐伯記念野球会館」には何がある?<Number Web> photograph by PENTA PRESS,JIJI PRESS/Kou Hiroo

高校時代の大谷翔平も泊まったことがあるという「中沢佐伯記念野球会館」。一般には公開されない“ナゾの施設”には何がある?

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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 酷暑対応を踏まえた「朝・夕方の2部制」を夏の甲子園で導入したり「7回制」について言及するなど日本高野連の発信が積極的だ。公式サイトの“改革”や一般には公開されていない“ナゾの施設”などを担当者に取材した<全2回>

 公益財団法人日本高等学校野球連盟は、大阪市西区江戸堀の「中沢佐伯記念野球会館」内にある。

 江戸堀は江戸時代初期に開削された江戸堀川に沿って拓かれた町で、大阪の中心地・梅田やビジネス街の本町にも近いが、昔からの商店や小粋な料理屋が並ぶ落ち着いた町だ。

 筆者は若いころからこの界隈に足を運ぶことが多かったが「日本高等学校野球連盟」という標柱を見るたびに「こんな地味な街に高校野球の本部があるのだ」と思った。

「戦後、日本高野連が最初にできた時は、朝日新聞大阪本社の一角を間借りしていたらしいのですが、やはりきちんとした建物、事務所が欲しいという当時の方々の思いで土地を探され、最終的にこの場所になったと聞いています。

 せっかく作るのであれば、きちんとした会議や宿泊もできる、本格的な本部機能のあるものにしようということになったようです」

 日本高野連の井本亘事務局長はこのように話していた。

そもそも、日本高野連っていつ設立されたのか

 簡単に高校野球の歴史を振り返っておこう。

 朝日新聞社の主催で夏の甲子園大会の前身である「全国中等学校優勝野球大会」が始まったのは1915年のこと。1924年に阪神甲子園球場が開場すると、全国的な人気を呼んだ。この年、毎日新聞が主催してセンバツの前身となる「全国選抜中等学校野球大会」もスタートする。中等学校野球の普及によって、野球人気は全国的なものになった。

 しかし、戦前は中等学校野球を統括する団体はなかった。

 そのために1937年に文部省から「野球ノ統制並施行ニ関スル件=野球統制令」が発令されると、中等学校野球はそれに従うしかなかった。さらに太平洋戦争が始まると1943年に文部省が「戦時下学徒体育訓練実施要綱」を制定し、中等学校野球は全面的に停止となった。

【次ページ】 独自の「野球会館」設立を悲願としていた

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