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「高校生の大谷翔平が泊まったことも」「地下室でボールの弾み具合を…」“非公開”の高校野球本部「中沢佐伯記念野球会館」には何がある? 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byPENTA PRESS,JIJI PRESS/Kou Hiroo

posted2024/08/12 17:01

「高校生の大谷翔平が泊まったことも」「地下室でボールの弾み具合を…」“非公開”の高校野球本部「中沢佐伯記念野球会館」には何がある?<Number Web> photograph by PENTA PRESS,JIJI PRESS/Kou Hiroo

高校時代の大谷翔平も泊まったことがあるという「中沢佐伯記念野球会館」。一般には公開されない“ナゾの施設”には何がある?

 戦後、佐伯達夫(のち日本高野連会長)など戦前からの関係者が奔走して中等学校野球が再開されたが、競技としての一貫した方針を持ち、社会と向き合うためには、競技団体を作るべきだと痛感した佐伯らは、1946年2月に全国中等学校野球連盟を設立する。

 1948年には新学制が施行され中等学校は高等学校と改称される。これに伴って、1948年に全国高野連ができる。さらに1963年、財団法人日本高等学校野球連盟が誕生した。

独自の「野球会館」設立を悲願としていた

 日本高野連は、独自の「野球会館」の建設を悲願としていたが、紆余曲折を経て1969年3月に、竣工した。この会館は、当時の日本高野連会長である佐伯達夫の「50年経っても耐えうる建築物に」という思いを反映して、いろいろなところにこだわりがある建物になっている。

「中沢佐伯記念野球会館」という名称は、日本高野連の設立と基礎作りに多大な貢献があった、日本高野連二代目会長の中沢良夫(東京大学野球部、京都大学名誉教授)、三代目会長の佐伯達夫(市岡中学、早稲田大学)の名前を顕彰したものだ。

 会館の外壁には、細かな凹凸が刻まれている。井本事務局長は、このように話す。

「この凹凸は、人造石を職人が金づちで一つ一つ叩いて造ったものなんです。『ツツキ仕上げ』という工法で、年数がたつと風格が出るんです」

 たしかに50年以上が経過した今、この外壁は曰くいいがたい味わいがある。このことを知っている人はめったにいないだろうが。

4階は国際大会用の宿泊施設…大谷が泊まったことも

 この会館は、単なる事務局や集会、会議をする機能だけでなく、高校野球に関する様々な活動を行うことを想定している。

 1階には日本高野連のオフィスになっている。2階は会議室。高野連の様々な発表や記者会見の舞台となり、メディアが度々この会議室からの映像を配信してきた。

 4階には最大で30人程度が滞在できる宿泊設備が設けられた。当初は、親善野球などで海外からの訪問チームがやってきたときに宿泊できるように、ということだったが、のちには国際大会に遠征する際、全国から選抜された高校生が、この宿泊施設で合宿するようになる。

【次ページ】 地下室ではボールの弾み具合が測定されている

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大谷翔平
井本亘
中沢佐伯記念野球会館

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