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「あいつら、黙らせたろう」“最強のヘディング王”植田直通(29歳)の闘争本能「選択肢があるなら難しい方を…失敗したって死にゃあしない」 

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松本宣昭

松本宣昭Yoshiaki Matsumoto

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photograph byNaoyoshi Sueishi

posted2024/07/19 17:00

「あいつら、黙らせたろう」“最強のヘディング王”植田直通(29歳)の闘争本能「選択肢があるなら難しい方を…失敗したって死にゃあしない」<Number Web> photograph by Naoyoshi Sueishi

「怖いほど真っすぐな目」を持つアントラーズ・植田直通

「あの日のことは、忘れられない。先生が、受かったぞって書類を渡してくれて。もしも落ちていたら、僕の人生は大きく変わっていたはずです。プロの選手になれたかどうかもわかりません。後から聞いた話なんですが、合格の理由は体力テストがすべてだったそうです。僕の結果が、歴代の記録を次々と塗り替えたようで。“あの植田という受験者は、何者だ!?”って、校内で騒ぎになったみたいです(ニヤリ)」

選択肢があるなら、難しい方を選ぶ

 高校1年の夏、植田はセンターバックに転向した。名将・平岡和徳監督による「一技二万回」の教えのもと、グラウンドの端にぶら下がるボールを毎日毎日、頭で叩いた。そうして圧倒的なヘディング力を身に付け、'11年にはU-17W杯に出場。無名の中学生は、多くのJリーグクラブが獲得を所望する大器に成長した。そんな中から選んだのは、大津高校と同じく「常勝」を義務付けられた鹿島アントラーズだった。

「練習参加してみて、選手層が一番厚い、試合に出るのが一番難しいと思ったのが鹿島でした。厳しい環境であるほど成長できることは、大津高校で実感していましたからね。選択肢があるのなら、難しい方を選ぶ。迷ったら、行動する。これが僕の流儀です。それに、心の一番太いところで“失敗したって死にゃあしない”って考えがあるんです。進路や移籍でうまくいかなくても、嫌な思いをしたとしても、死ぬことはないだろうって。だから、イライラすることも少ないですし、貴重な経験だとポジティブに変換して人生を楽しんでいます」

 とはいえ高卒の新米センターバックがすぐに試合に出られるほど、鹿島は甘くない。プロ1年目のリーグ戦出場はゼロ。紅白戦のメンバーにすら入れない時期もあった。

 それでも腐ることはなかった。偉大なる先輩たちの背中を見てきたからだ。ある日の紅白戦前、自身と同じくスタメン落ちが続いていた岩政大樹に、こう言われた。

【続きを読む】サブスク「NumberPREMIER」内の【決断を語る】アントラーズ・植田直通に植え付けられた「失敗したって死にゃあしない」の流儀とは?《鹿島で目指すは「優勝」のみ》、こちらの記事の全文をお読みいただけます。

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