植田家、家訓――。
スポーツでは、絶対に負けるべからず。誰よりも上手くなって、一番になるべし。
厳格な父の教えを胸に、直通少年は逞しく、強靭に育った。わずか2歳で自転車の補助輪を外し、かけっこでは先頭をぶっちぎる。小学生の頃から始めたテコンドーでは、世界大会にも出場した。
「あいつら、黙らせたろう」闘争本能に火がついた。
人生で最初に運命の決断を下したのは、15歳のときだ。熊本県宇土市立住吉中学校の一室で、担任の先生にこう告げた。
「大津高校を受験します。もしも前期で落ちたら、他の学校に行きます」
机の向こうに座る教師は、困惑していた。
「大津は進学校だし、サッカー部も全国レベルだぞ。もっと試合に出られる学校でも、いいんじゃないか?」
そんな説得を受けても、鋭く真っ直ぐな目が揺らぐことはなかった。
「僕は性格上、楽な環境に進んで、そこに慣れてしまうのが嫌なんです。大津は熊本で一番強い高校ですし、県内のエリートが集まります。当時の僕は、熊本県のトレセンには選ばれていましたけど、全くの無名選手。でも、一番強くて一番争いが激しいところで勝負するからこそ、成長につながると思って選びました。その考えを尊重して受験を許してくれた両親と担任の先生には、今でも感謝しています」
植田が挑んだ県立大津高校普通科体育コースの入学試験は、前期と後期の2回行われる。試験科目に学科はなく、50m走や立ち幅跳び、反復横跳びなどの体力テストと、試合形式によるサッカーの実技テストが実施された。前期の合格者はわずか十数名。その椅子を狙って、Jリーグクラブのジュニアユース育ちや強豪中学出身者など、熊本県選抜チームの主力が集まっていた。
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