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「あいつら、黙らせたろう」“最強のヘディング王”植田直通(29歳)の闘争本能「選択肢があるなら難しい方を…失敗したって死にゃあしない」

posted2024/07/19 17:00

 
「あいつら、黙らせたろう」“最強のヘディング王”植田直通(29歳)の闘争本能「選択肢があるなら難しい方を…失敗したって死にゃあしない」<Number Web> photograph by Naoyoshi Sueishi

「怖いほど真っすぐな目」を持つアントラーズ・植田直通

text by

松本宣昭

松本宣昭Yoshiaki Matsumoto

PROFILE

photograph by

Naoyoshi Sueishi

 史上最強のヘディンガーと称しても、過言ではない。名門・大津高校で育ち、ヨーロッパでの挑戦を経て、今、再び鹿島でのタイトル奪還に燃えている。これが、勝利を貪欲に求め続ける漢・植田直通の生きる道。
 発売中のNumber1100号[燃える闘魂]植田直通「失敗したって死にゃあしない」より一部を抜粋してお届けします。

 植田家、家訓――。

 スポーツでは、絶対に負けるべからず。誰よりも上手くなって、一番になるべし。

 厳格な父の教えを胸に、直通少年は逞しく、強靭に育った。わずか2歳で自転車の補助輪を外し、かけっこでは先頭をぶっちぎる。小学生の頃から始めたテコンドーでは、世界大会にも出場した。

「あいつら、黙らせたろう」闘争本能に火がついた

 人生で最初に運命の決断を下したのは、15歳のときだ。熊本県宇土市立住吉中学校の一室で、担任の先生にこう告げた。

「大津高校を受験します。もしも前期で落ちたら、他の学校に行きます」

 机の向こうに座る教師は、困惑していた。

「大津は進学校だし、サッカー部も全国レベルだぞ。もっと試合に出られる学校でも、いいんじゃないか?」

 そんな説得を受けても、鋭く真っ直ぐな目が揺らぐことはなかった。

「僕は性格上、楽な環境に進んで、そこに慣れてしまうのが嫌なんです。大津は熊本で一番強い高校ですし、県内のエリートが集まります。当時の僕は、熊本県のトレセンには選ばれていましたけど、全くの無名選手。でも、一番強くて一番争いが激しいところで勝負するからこそ、成長につながると思って選びました。その考えを尊重して受験を許してくれた両親と担任の先生には、今でも感謝しています」

 植田が挑んだ県立大津高校普通科体育コースの入学試験は、前期と後期の2回行われる。試験科目に学科はなく、50m走や立ち幅跳び、反復横跳びなどの体力テストと、試合形式によるサッカーの実技テストが実施された。前期の合格者はわずか十数名。その椅子を狙って、Jリーグクラブのジュニアユース育ちや強豪中学出身者など、熊本県選抜チームの主力が集まっていた。

「陰口が嫌だったし、ムカつきましたね」

 試験当日。そんなエリートたちによる、ひそひそ話が聞こえてきた。

「おい、見ろよ。植田がいるやん。なんであいつが大津を受けてんだ?」

 闘争本能に、火がついた。

「陰口が嫌だったし、ムカつきましたね。あいつら、黙らせたろうと思って」

 体力テストで、幼い頃から鍛え上げてきた身体能力を全解放した。豪快なフォームで50mを走り抜き、全身をバネのようにしならせて、高く、遠くへ跳んだ。

 一方、サッカーの実技テストは不発に終わった。当時のポジションはFW。周囲のエリートが華麗なテクニックを披露する中で、目に見えるアピールはできなかった。

 だから後日、担任の先生から呼び出されたときも、不合格を覚悟していた。

【次ページ】 あの植田という受験者は、何者だ!?

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