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「じつは大谷翔平に“逃げられてしまった”」なぜ大谷は“甲子園常連”仙台育英高に行かなかった? 当時の監督が証言する「お父さんと練習見学に来た日」―2024年上半期読まれた記事
posted2024/09/15 06:00
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
JIJI PRESS
2024年の期間内(対象:2024年5月~2024年8月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。大谷翔平世代部門の第5位は、こちら!(初公開日 2024年7月14日/肩書などはすべて当時)。
じつは中学3年の大谷翔平は仙台育英高の練習見学に行っていたという。なぜ大谷は“甲子園の常連”仙台育英高を選ばなかったのか? 当時仙台育英高の監督だった佐々木順一朗氏(現・学法石川高監督)に聞いた。【全2回の前編/後編も公開中】
◆◆◆
「仙台育英の願書を自宅に送った」
――大谷翔平選手は、ひょっとしたら仙台育英に入っていたかもしれないんですよね。
佐々木順一朗監督 中学3年生のときかな、練習を見に来たときの記憶はあります。背、でかかったですから。もう、190センチ近くあったんじゃないかな。ただ、とにかく細かったんですよ。お父さんも一緒に来ました。僕の品定めに来たんじゃないかな。今思えば、ですけど。
――どんな指導者なんだろう、と。
佐々木 お父さんもシニアの監督でしたからね。どういう人なのかなということで見に来たのだと思います。
――大谷選手とは、どんな話をしたのですか。
佐々木 僕はまったく変わらずこんな感じでしたね。「でけえなぁ」とか「あんまり食べてねえんだろ。そんな細いままじゃ折れちゃうぞ」とか冗談しか言ってないと思います。あとは、来たかったら来たらいいという話はしたと思います。願書も家に送った記憶はありますね。いちおう来てくれた中学生には、もしうちに来る気があるなら、この願書で受けてねということで送っていたので。ただ、その後は、まったく音沙汰がなかったですね。
「菊池雄星も“逃げられてしまった”」
――中学時代の大谷選手の噂は聞いていたのですか。