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メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
「自分はずっと補助席で」“ヤンキースで叩かれた左腕”井川慶が味わった過酷マイナーとメジャー格差「ホテルでの名前はスタンハンセン、と」
posted2024/09/16 12:05
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Nick Laham/Getty Images
かつての最多勝エースは東京メトロでやってきた
「傘がなくて……。駅まで来ていただけますか?」
かつて阪神のエースだった井川慶に話を聞くため、東京都内で会う約束をしていた。急に雨が降りはじめ、やがて本降りになった。私のスマートフォンに連絡が入ったのはそんなときである。
新幹線で東京駅に着いて、タクシーでやって来るのかと思いきや、地下鉄でやってきたのだという。
「東京駅から有楽町駅、もっと近いのかと思ってました。歩いたら遠いですねえ」
傘をたたみながら、豪快に笑っている。プロ野球選手はだいたいクルマで移動する。ましてや、2003年に20勝を挙げて阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた、かつての一流選手である。それなのに……。
「ムッシーナも20勝シーズンに辞めましたよね」
沢村賞投手が東京メトロでやって来た。
その言動に驚いている時点で、とらわれてしまっている。彼を「プロ野球選手だから……」という色眼鏡で見てしまっているのだ。誰もが自分のモノサシで人となりを思い描くが、井川をそんなふうにとらえようとするほど、輪郭がぼやけてくる。そのことは、いまの姿をみればよくわかる。
15年限りでオリックスを退団後、独立リーグでプレーし、最近は評論活動のため、野球場にも現れる。でも、まだ現役引退を表明していない。「え? なんで」と思った時点で、すでに彼の実像からは遠いところにいる。
井川は言う。
「たとえば、ヤンキースでチームメートだったマイク・ムッシーナにしても、20勝したシーズンに辞めましたよね。日本人にはない辞め方をいっぱい見てきました。だから、自分も型にはハマらないというか」
まるで空を漂う雲のように、あるがままに形を変える。そんなスタイルはアメリカの荒野のなかで、育まれていった。
「契約しているのはウチ。言うことを聞いてくれ」
MLBでは通算16試合に登板し、2勝4敗、防御率6.66だった。阪神からポスティング制度を用いて総額30億円でヤンキース入りした経緯を考えれば、期待には沿えず、辛口で知られる現地メディアから批判を受けた。しかも、米球界での5年間のうち、最後の3年はマイナーリーグ暮らしだった。傍から見れば不遇にも映るが、井川のとらえ方はちがう。