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大谷翔平を超えていた“消えた天才”は今「私みたいになって欲しくない」なぜプロ野球を諦めたのか? 仙台育英の同級生“ベンチ外”松原聖弥はプロに…
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNumber Web
posted2024/07/07 11:03
30歳になった現在の渡辺郁也さん
「プロになったやつを見てると、身の程知らずなところがあるんですよ。試合にも出てないのに『俺は絶対、プロになる』とか。おめーが言うなよ、って。でもそういうやつが化けることがある。僕も中学まではそう思っていたけど、すごいやつらをさんざん見てきて『無理だわ……』って、どんどん気分が落ちて行ってしまった。無理なのわかっててやるの、恥ずかしいって思っちゃうんですよ。バカじゃね? って。でも、そう思ってる方がダサいんですよね。今ならわかるんです。そう思ったとしても、がんばればよかったのに、って。あきらめなくても9割方、何者にもなれないんですよ。そんなに甘い世界ではないんで。でもやり切ることが大事なんですよね」
就活の年…大谷の「二刀流」覚醒
渡辺が大学4年生になった2016年は、大谷が二刀流としていよいよ本格化しつつある時期でもあった。最終的に投手として10勝を挙げるだけでなく、自己最多となる22本塁打をマークし、日本ハムを日本一に導いた。
就職活動中だった渡辺はその頃、2つのことから逃避しようとしていた。それは東京と、これから社会に出るという現実だった。
「あのときは仙台に戻って営業をやるっていうことしか考えていなくて。東京は嫌だったんです。いい思い出もないし、人がいっぱいいるのが苦手で。(就職について)深く考えるのが嫌だったので、会社もそっこー決めちゃいました。もう5月ぐらいには内定をもらっていたと思います」
社会人になってからは野球と距離を置いた。草野球も滅多にやらなかったし、野球に関する情報もできる限り遮断していた。
あの松原聖弥がプロに…「何をやってるんだろう、俺」
仙台育英の同級生で俊足が武器だった松原聖弥(西武)は、高校時代にベンチ入りさえ果たせなかったにもかかわらず、明星大を経て2016年に巨人から育成ドラフト5位で指名を受けた。1番としてレギュラーに定着した2021年には27試合連続安打を記録している。そのニュースは渡辺を憂鬱にさせた。
「松原が連続ヒットとか打ってたじゃないですか。仲はいいんですけど、純粋に応援はできなかったですね。試合も見られなかった。仙台で保険屋さんをやってるときだったんで、落ち込むというか、どうしても『何をやってるんだろう、俺』みたいになっちゃうので。プロになった後輩もたくさんいますし、大谷とかはとんでもないことをやっていましたし。それに比べての自分なんで」
現役時代を落ち着いて振り返ることができるようになったのも、大谷の試合を観ることができるようになったのも、つい最近のことなのだという。