近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
野茂英雄が報道陣に「撮らないでください」メジャー1年目の夏に起きた異変…記者が見た“トルネードの焦燥”「もう説明を受けたでしょ?」
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2024/07/11 11:02
日本人史上初の新人王を獲得したメジャー1年目の9月、野茂英雄はブルペンの撮影をやめるように要望。一体、野茂の身に何が起きていたのか
もちろん公表しても支障がないという球団の判断があって、報道陣への情報開示となったことは間違いない。ただ野茂にとっては、自らの怪我はイコール、自らの弱点でもある。試合前に相手に有利になるような情報を、自分からわざわざ発信するプロもいないだろう。
プロ野球取材が30年近くになってきた今なら、その野茂の気持ちも理解できる。だからといって、野茂の肩を持ち、球団の姿勢を批判しているのではもちろんない。
このときのトレーナーはもちろんのことだが、ドジャースのスタッフたちは、日本からの報道陣に対して、実に親切に対応してくれた。日本語が堪能な広報スタッフは、常に私たちの要望を聞いてくれたし、英語版のプレスリリースの内容をかいつまんで解説してくれることもあった。不確かな情報で原稿を書かれるよりも、現時点で伝え得る限りの情報を公開した上で、ドジャースの、さらには野茂の正確な記事を日本に発信してほしいという球団の熱い思いと、その気遣いが常日頃からはっきりと感じられた。
日本メディアに親切なドジャース、監督は…
「ノモは、私の息子だ!」
事あるごとに、大声でそうまくしたてる監督のトミー・ラソーダも親日家のひとりだった。
<つづく>