近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
ドジャースは野茂英雄のことばかり聞く日本メディアをどう受け入れた? 親日球団の原点…ラソーダ監督「センイチ・ホシノは俺のブラザーだ」
posted2024/07/11 11:03
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
AFLO
星野仙一とは「兄弟分」だったラソーダ
1961年、当時ドジャースのキャンプ施設があったベロビーチで春季キャンプを行った巨人とドジャースとの関係が深まっていた。1965年には打撃担当コーチのケニー・マイヤーズとともに、ドジャース監督のトミー・ラソーダが投手担当コーチとして、巨人の宮崎キャンプに派遣されている。
1988年、星野仙一監督率いる中日も、ベロビーチでキャンプを行っている。白地にブルーの文字でのチームロゴ、その下の赤い文字での背番号というユニホームのデザインはドジャースと瓜二つ。熱血漢というその共通項で惹かれ合ったのか、ラソーダは日本の話になると決まってこう口にした。
「ホシノを知ってるか? 俺の兄弟だ!」
そうやって、日本人記者たちにも分かるネタを引き合いに出し、私たちとコミュニケーションを取ろうとしてくれたラソーダには、感謝の思いが尽きない。
野茂のことばかり聞いた記者に…
ただ、こちらからは野茂の質問の一点張りだ。
野茂の爪は? 野茂はいつ投げる? 野茂の調子は? 野茂と何を話した?
野茂のことしか聞かない我々のことを、腹の底ではどう思っていたのかは分からない。それでもラソーダは、イヤな顔一つせず、それらの質問を受け止めてくれた。
試合後も、その試合とは関係のない、登板していない野茂のことを聞くのだ。そのためにラソーダは、監督室で行う囲み取材で、まず日本の報道陣の質問を受けてくれた。それを聞き終えると、私たちは監督室を出る。その後、ロサンゼルス地元紙のドジャース番記者をはじめとした記者たちと試合についての本格的なやり取りが始まる。
そこでは当時の私の英語力では聞き取れないような言い回しや、知らなかった野球用語も混じっていた。野球の本質から、自分の取材がそれてしまっているという寂しさを感じた。
ノモ。おりゃー、しばくぞ
ラソーダだけではなかった。投手コーチのデーブ・ウォーレスも「君も大変だな」と笑いながら、野茂のこと“しか”聞かない私に、いつも丁寧に答えてくれた。