- #1
- #2
野球善哉BACK NUMBER
「丸刈り完全否定」の違和感…甲子園の慶応報道に「なぜあんな形で取り上げられたのか」花咲徳栄の名将が本音“昔の高校野球は消滅”でいいのか?
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/06/22 11:00
花咲徳栄・岩井隆監督が語る「丸刈り論争への本音」(写真は今春センバツを制した健大高崎)
「U-18の世界大会に帯同していろんな国を見れば、ネックレスしてユニホームが揃ってなくても許されるチームもあります。海外では神を冒涜しなければ何をやっても許されるところがありますよね。一方で、宗教を持たない日本人の基本が何かといったら、美意識だと思う。つまり『型』が第一にくる。まず何を教えるのかといったら、それは躾であったり、規制であったり、モラルやルールを守ること。相手を称えるとか、勝ち負けだけではない大事な部分です。それらを教えることが僕らの役目だと思っています」
「型」と聞けば一瞬、現代と真逆の「型にはめることで個性を殺す」という考え方のようにも聞こえるが、岩井は個性を否定しているわけではない。順序があり、まず型を覚えるという過程がある。育成の順番として、型を知ってから個性が育まれていくと考えている。
慶応は「なぜあんな形で取り上げられたのか」
「慶応とは定期戦をやっていますし、森林(貴彦)監督とは仲がいいですけど、決して世間で言われているような印象ではなくて、厳しい指導者だと思います。それがなぜあんな形で取り上げられたのかなと思う。否定的な意味ではなくて、ですよ。取り上げられなきゃいけないのは学生であって、監督の発言じゃないんです。仙台育英の監督さんも言葉力が強くていろいろ(メディアに)出ますよね。仙台育英にはいい投手がいますけど、一方で、アザだらけになってボールを受けるキャッチャーがいる。(コーチとして)U-18侍ジャパンに来て知りましたが、極度の集中力、恐怖心からくる集中力の中で彼らはプレーしていた。取り上げられるべきはそういったことだと思う。甲子園っていうのは髪型を論議する場所じゃない」
岩井の観点は、高校野球の捉え方を示している。つまり、「体育」という教育なのか、スポーツという娯楽なのか。スポーツはその語源が「気晴らし」と言われるように、気楽なものだ。自由な髪型で、自由な発想で、嗜まれてきた。一方、学校教育の中にあるスポーツは「体育」に変換された時点で、科目の一つになり、鍛錬や訓練というものに置き換えられてきた。
高校野球の指導者を取材していて常に感じることだが、「体育」と「スポーツ」が混在していて、どちらのスタンスを取るかによって、取り組みが180度変わる。ただ、おおよそ、甲子園で優勝を狙うような監督は「体育」の要素が強いように感じる。