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「監督はうんざりしていたかも…」長谷部誠がいま明かす“キャプテンの権限を超えた”W杯ミーティング舞台ウラ「あれだけ動いたのは最初で最後」
posted2024/06/21 11:01
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph by
Takuya Sugiyama
【初出:発売中のNumber1098号[引退記念ロングインタビュー]長谷部誠「信頼に応えるため、自分の形を変えてきた」より】
自分にできるあらゆることをする
'10年W杯のときはキャプテンとしてまだ右も左もわからず、'11年アジアカップで優勝したものの、'14年W杯では全員の意思を合わせようとしてもがき苦しんだ。そして'18年W杯を目指す過程では追い詰められた監督を助けられなかった。
そうやって成功と挫折を繰り返し、ひとつの結論に辿り着いた。
「自分にできるあらゆることをする」
長谷部はその決意とともに'18年W杯に臨み、キャプテンの権限を超えた領域に足を踏み入れていく。
――'18年W杯直前に西野体制がスタートしたものの、日本で行ったガーナとの壮行試合は0対2で敗れ、オーストリア合宿に移動してからもスイスとの親善試合に敗れてしまいました。当時の日本代表の状況をどう見ていましたか?
「西野さんは選手主体で進めようとして、なかなか戦術が定まらなかったんですね。一方、選手たちは最低限の決め事を求めていた。だから僕が監督、コーチのテグ(手倉森誠)さん、森保(一)さん、テクニカルスタッフの人たちの部屋に『ちょっと話をしたいので時間を頂けますか』とそれぞれ電話をかけ、ミーティングルームに集まって戦術を議論したんです。監督、コーチ、テクニカルスタッフ、僕というミーティングを合宿中ずっとやっていました」
――そんなトップ会談を開いていたとは!
「監督やコーチはちょっとうんざりしていたかもしれない。僕が何度も呼ぶから」
背後で動いて全体ミーティングを開催
選手主体――。いわゆるボトムアップのマネジメントを西野監督は採用した。「君たちの方が欧州で経験がある。意見を出してくれ」と呼びかけ、選手たちに戦い方のアイデアを求めたのだ。