“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「小川、全然使えない」「あいつの何がいいの?」小川航基が苦しかったと語る“ジュビロ9番”時代…痛烈な批判を浴びてもブレなかった恩師との約束
posted2024/06/10 11:04
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
AFLO
怪我から復帰後、磐田で満足のいく出番をつかめない時間が続いた小川航基は、2019年7月にJ2水戸ホーリーホックに期限付き移籍を決断する。そこでキャリアハイとなるリーグ7得点を決めて復調の兆しを見せると、同年12月には国内組中心で構成されたEAFF E-1選手権で日本代表に初選出された。
2020年はJ2降格の憂き目にあった磐田に復帰。背番号はクラブのレジェンドである中山雅史が背負った「9番」をつけ、開幕戦から2ゴールを記録するなど明るい未来を予感させた。
しかし、目標だったJ1昇格も二桁ゴールも果たせず。すると、プロ6年目の2021年はシーズン22得点を叩き出したルキアンとのポジション争いに敗れ、リーグ戦のスタメン出場はわずか1試合にとどまった。ベンチ外を経験する試合も多く、終わってみればネットを揺らしたのは1回のみ。当然、東京五輪のメンバーからも落選した。
壁にぶち当たってしまった時に、安易に逃げ道を探してしまう選手は多くいる。それでも小川は「腐ってしまうような時期はまったくなかった」と当時を振り返る。
筆者は“本音”を引き出そうと質問を続けた。
「2021年は本当につらい時期でした」
――ただ、小川選手の場合はその“時間”が長かった。新人時代の1、2年の話ではない。「もういいや」となってもおかしくなかったのでは?
「確かにジュビロでの最初の4年間もそうですし、戻ってきてからも、2021年はいま振り返ってみても本当につらい時期でしたね。前半で交代させられた開幕戦以降、そこからはずっと終盤での出場が続いていました。だから『どうでもいいや』ってなる選手の気持ち、感情は物凄く分かります。何かプチッと音がして切れちゃうような、怒りやら悔しさやらで、どうでもよくなる瞬間って、人間だから必ず誰しもがあると思うんです。でも、そこでこれまでやってきたことをやめちゃうのではなく、それをエネルギーやパワーに変えられるのが自分の強みだと、今になって思いますね」
――結果が出ていない、実感がない中で自分を信じ抜くことができたのはなぜでしょう。