“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「小川、全然使えない」「あいつの何がいいの?」小川航基が苦しかったと語る“ジュビロ9番”時代…痛烈な批判を浴びてもブレなかった恩師との約束
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byAFLO
posted2024/06/10 11:04
2020年からジュビロ磐田で「9番」を背負った小川航基。中山雅史、高原直泰、前田遼一と日本代表を輩出してきたクラブとあって、期待も大きかった
桐光学園高3年時に出場した兵庫インターハイ。桐光学園は初戦で京都代表の久御山と対戦。この試合、小川は2ゴールを叩き出したが、同点に追いつかれ、PK戦の末に初戦敗退を喫している。
「俺は勝ちたかったんですよ!」
ロッカールーム代わりのテントで小川の怒号が響くと、激しい口論が勃発した。相手は恩師である鈴木勝大監督。世代No.1と言われた選手の宿命とも言えるプレッシャーが、爆発した瞬間だった。
周囲の目を気にせず、監督と大ゲンカ
長らく高校サッカーの現場にいるが、ここまであからさまに選手が監督に噛みつくことは珍しい。しかし、よく口論に耳を傾けてみると、勝利に対する互いの強い想いがぶつかり合ったものだった。
――高校3年の時、鈴木監督と口論になったシーンは覚えてますか?
「あの時は、心の底から勝ちたくて、インターハイに懸けていました。ここで結果を出して名前が売れなきゃプロになれない、呼ばれない。本気で優勝と得点王を目指して、信じて挑んだので、追いつかれての初戦敗退という結果はどうしても受け入れられませんでした。監督は叱咤激励をしてくれたのだと思うのですが、どうしても感情を抑えきれなくて……。でも、感情的になってしまったのは反省しています」
――インターハイ後も、仲間たちに厳しい言葉をかけていました。練習でも「こんなんでいいのか?」「日本一を取る気は無いのか?」と。
「懐かしいですね。本当に若さゆえの行動でしたね(笑)。でも、そういう感情を内に秘めずに表現することも大事だと思いますし、根本にそういう気持ちがないと、選手としてだけではなく、アスリートとしてやっていけない必要不可欠な部分だと思います。時にはそれが良くない方向に行ってしまうこともありますが、そこはうまくバランスをとりながらやるべきだと思いますね」