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「世間ではもう“終わった選手”だと…」サッカー日本代表・小川航基26歳が“消えた天才”にならなかった理由「でも腐ったことは一度もない」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJFA/AFLO
posted2024/06/10 11:03
オランダリーグでの活躍が認められ、日本代表に復帰した小川航基。先日のミャンマー戦ではスタメン起用に応える2ゴールをマークした
2023年夏、小川は25歳にして初の海外移籍を果たした。前年に横浜FCでJ1昇格に貢献し、26得点を挙げて自身もJ2得点王に。J1で半年間プレーした後、オランダ・エールディビジのNECナイメヘンへ期限付き移籍を勝ち取った。
リーグ開幕戦初ゴールを奪うと、終わってみれば公式戦15ゴールを挙げ、ECLのプレーオフ進出に貢献。完全移籍を自らの手で掴み取り、その活躍が森保一監督の目に留まって日本代表にも復帰を果たしている。
――この1年を振り返って。
「僕の中で本当に濃く、今までにない刺激の大きな1年だったと思います。ゴールを決めた試合もあれば、スタメンから外された試合も。その中でA代表にも呼ばれて、いろいろなことが重なった1年でした」
――ずっと待ち望んでいた海外移籍でしたしね。
「そうですね。でも同時に、もっと早く来たかったなとも感じています。もちろん日本も素晴らしい環境ですが、海外に飛び出して、新しい環境で頑張ったこの1年間が物凄く充実して楽しかったです」
――チームメイトには20歳の佐野航大選手(パリ五輪日本代表候補)がいます。
「彼を見ていると、すごく羨ましいですし、自分が20歳の時と比べてしまいました。もっと早く海外に出てきていたら、どうなっていたかなと」
――でも、小川選手も20歳の時に海外移籍できるチャンスはあった。
「U-20W杯では世界と戦える自信はありました。初戦(南アフリカ戦)のパフォーマンスで『海外から話が来るかも』と感じたし、実際にあったと聞きました。でも、ウルグアイ戦の怪我で、海外挑戦のタイミングを失ってしまった」
人生の歯車が狂った、あの大怪我
186cmの高さがありながら、足元の技術に長け、スピードとパワーも兼ね備えた天才ストライカーとして桐光学園高校時代から早くから注目を集めた小川。2016年に鳴り物入りでジュビロ磐田に加入してからも、世代別日本代表では常に中心選手だった。
AFC U-19選手権では絶対的なエースとしてアジア制覇を達成。翌2017年U-20W杯では、のちの東京五輪に出場する堂安律や久保建英らと共闘し、初戦の南アフリカ戦では貴重な同点弾を叩き込んだ。
しかし、第2戦ウルグアイ戦で地面に足を着いた際にひざを捻ってピッチに倒れ込んだ。前半開始からわずか20分で途中交代を余儀なくされ、そのまま病院に直行。左ひざ前十字靭帯断裂および左ひざ半月板損傷と診断され、無念の帰国となった。
――見ている方としても、あの負傷は大きなショックを受けました。
「20歳というとても重要な年代で、あの怪我は自分に大きくのしかかったし、復帰してからの3〜4年は怪我する前の自分がなかなか戻ってこなくて、納得がいくプレーはできませんでした。ただ、その原因は自分の心の弱さであることは認めています。シンプルに自分に実力が足りなかっただけで」