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ダルビッシュ有25歳が金田正一や稲尾和久を超えた「プロ野球史上1位」大記録とは…39億円ポスティング→ケガとの戦い、メジャーでの転機

posted2024/05/24 11:02

 
ダルビッシュ有25歳が金田正一や稲尾和久を超えた「プロ野球史上1位」大記録とは…39億円ポスティング→ケガとの戦い、メジャーでの転機<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2011年、日本ハム時代のダルビッシュ有。この年に“昭和の大投手を超える”大記録を打ち立てていた

text by

広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph by

Hideki Sugiyama

 史上3人目となる日米通算200勝を達成したダルビッシュ有(37/サンディエゴ・パドレス)。20年にわたる紆余曲折のキャリアと数々の記録、本人の「データ活用、取り組み方の変化」を追って、野球人としての成長ぶりをあらためて見つめ直す。<全2回の第1回/第2回も配信中>

 200勝達成時、中継を放送したNHKのインタビューで、ダルビッシュ有は「プロに入った時にいろいろあって、ファイターズや日本全体が優しく育ててくれた。それが自分のもとになっているので、その感謝を忘れずにずっとやっています」と切り出した。

 今でもダルビッシュが入団直後に喫煙、パチンコで謹慎処分を食らったことを覚えているファンは多いだろう。でも多くの人は「別に言わなくていいのに」とも思ったはずだ。

 記念すべきインタビューの場で、自分から口にしたダルビッシュの謙虚さに感銘した。

 彼はプロ入り以後、肉体、技術だけでなく、人間としても大きく成長した。今も成長し続けているから、この大記録が達成できたのだ。

“いろいろあった”200勝までの軌跡を振り返る

 あらためて、彼の200勝までの輝かしいキャリアを振り返ろう。

 東北高から2004年ドラフト1位で日本ハムに入団したダルビッシュは、前述の謹慎もあって二軍スタートとなるが、5月にイースタン・リーグで実戦デビューし、6月には一軍デビューを飾った。

 実は1年目は奪三振(52)と与四球(48)が拮抗するなど、制球に難があった。しかし2年目以降は急速に改善され、成績は急上昇する。3年目の2007年に最多奪三振のタイトルを獲得。この年から未曽有の成績を残している。

 2007年/26登15勝5敗207.2回 率1.82(2位)
 2008年/25登16勝4敗200.2回 率1.88(2位)
 2009年/23登15勝5敗182回 率1.73(1位)
 2010年/26登12勝8敗202回 率1.78(1位)
 2011年/28登18勝6敗232回 率1.44(2位)

 5年連続で防御率1点台を記録したのだ。

金田、稲尾でも「4年連続」までだった

 1950年の2リーグ分立後、規定投球回数以上で防御率1点台を記録した投手は延べ140人いる。

【次ページ】 金田、稲尾でも「4年連続」までだった

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