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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
ダルビッシュ有25歳が金田正一や稲尾和久を超えた「プロ野球史上1位」大記録とは…39億円ポスティング→ケガとの戦い、メジャーでの転機
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/05/24 11:02
2011年、日本ハム時代のダルビッシュ有。この年に“昭和の大投手を超える”大記録を打ち立てていた
〈何球投げれば終わるの?みたいな
何投げてもファール。
僕もビクターも目あうたび笑ってましたよ!
まだ2年目の選手にそういう対応をしてくれて、一緒に勝負を楽しんで貰えたのが凄く感動しました
打席で人柄まで伝わりましたよ
毎回タイガースに投げたいわ(笑)〉(以上原文ママ)
それでもダルビッシュは3点前後の防御率をキープし、この2013年には最多奪三振のタイトルを獲得した。しかし翌2014年の8月に右ひじの炎症で戦線離脱。同年の7月にヤンキースの田中将大も右ひじ靱帯の部分断裂でDL(故障者リスト)入りしていた。
年齢もプロ入りも2年遅れの田中は、NPB時代からダルビッシュの最大のライバルだった。
そしてMLB移籍も2年遅れとなったが、ほぼ同時期に右ひじ靱帯を損傷した。ダルビッシュは翌年3月にトミー・ジョン手術を受けたが、田中は手術はせずに自身の血漿濃縮物を患部に注射するPRP療法を選択した。
苦しんだ時期にも「野球の学び」は進化していった
ダルビッシュは2015年を全休。一方の田中は以後も投げ続け、6年連続で2けた勝利を挙げる。明暗を分けた形となった。ダルビッシュは2016年に復帰したが、素晴らしいパフォーマンスを見せるときもあるが、シーズン通じては満足いく結果が挙げられない時期が続いた。
こういう逆境に立たされれば、日本復帰を考える投手もいるだろう。しかしこの時期から、むしろダルビッシュの「野球の学び」はさらに進化していった――。
<つづく>