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「右肩から骨が飛び出し…」“テレビ中継されなかった”アントニオ猪木の大怪我…腕折り事件から2年後、“シュツットガルトの惨劇”には伏線があった 

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小佐野景浩

小佐野景浩Kagehiro Osano

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photograph by東京スポーツ新聞社

posted2024/05/17 11:02

「右肩から骨が飛び出し…」“テレビ中継されなかった”アントニオ猪木の大怪我…腕折り事件から2年後、“シュツットガルトの惨劇”には伏線があった<Number Web> photograph by 東京スポーツ新聞社

「シュツットガルトの惨劇」として語り継がれるアントニオ猪木vsローラン・ボックの一戦(1978年撮影)

地元の英雄vs“キラー猪木”という構図

 猪木は現地で「アリと戦ったアジアン・カラテ・キャッチ・キラー」として紹介され、完全に主役扱い。大会ポスターの中央には、猪木の写真と後に代名詞となる「キラー・イノキ」の文字が大きく記されていた。

 このツアーは日本では『欧州世界選手権シリーズ』と呼ばれ、11月25日にシュツットガルトで行われた猪木vsボック戦は“決勝戦”としてテレビで報じられたが、事実は違うようである。

「あれは世界一を決めるトーナメントとかリーグ戦じゃなくて、本当は“キラー猪木”と一緒にサーキットするという普通のツアーだった。ボックとしては“猪木がワールド・マーシャルアーツ・チャンピオンと称しているなら、俺はヨーロッパで無敵のチャンピオンだ”ということで各国を回ってから、そのクライマックスとしてシュツットガルトで猪木さんと一騎打ちをやるという考えだったのよ。まあ、地元の英雄と対戦する“キラー猪木”だから、向こうではヒール扱いだよね」

「興行的には客が入らない大会もあったよ。地方では300人とか500人とかもあったから。でも、シュツットガルトは超満員だった。大会の前日に何万人も集まるビール祭りというのがあったんだけどね、次の日の夜に猪木vsボック戦が行われるということで、2人が壇上で紹介されたんだよ。祭りの中のデモンストレーションのひとつとしてプロレスの試合が行われたんだけど、このシュツットガルトとフランクフルトは大入りだったんでボックは結構、儲かったんじゃないかな」

 西ドイツでは一定の期間、一ヵ所に定着して興行を行うスタイルが主流だが、この『欧州世界選手権シリーズ』のような各会場を回る形のツアーは画期的だったようだ。推測するに観客動員が振るわなかった理由のひとつは、この慣れない興行形式にあったと思われる。

「右肩から骨みたいなのが飛び出していて…」

 ここで“シュツットガルトの惨劇”以外の試合にも触れておこう。11月6日に現地入りした猪木は、地元の報道陣に向けてちょっとしたデモンストレーションを行った。

「リング上で猪木さんが素足でジャンプしているのを見て、向こうのマスコミの人間が驚いたんだよね。猪木さんは足の指全部を内側に曲げた形でジャンプしているわけ。それを見て向こうの人たちは、“やっぱり東洋の人間は神秘さを持ってる……”って。後で聞いたら、“そんなことあったかなあ”と本人は忘れていたけどね(笑)。そういう演出をして人を惹きつけるのがアントニオ猪木なんだよ」

 猪木の戦績は22戦して12勝1敗7分(エキシビションマッチを含む)。初戦で対戦経験のあるウィリエム・ルスカをバックドロップで制して幸先のいいスタートを切ったが、2日目のボック戦ではフロント・スープレックスで右肩から硬いリングに叩きつけられ、早くも負傷した。

「受け身が取れない投げ方をされたわけ。猪木さんが“新間、やっちゃったよ”って。見ると右肩から骨みたいなのが飛び出していたから、電気マッサージを当てて、毎晩寝る前に治療していたんだ。試合前にも30分ぐらいそのマッサージをして、温湿布をしないと肩が動かなかったの。そういうのを隠しながら猪木さんは、ずっと戦っていたんだよ」

《第2回に続く》

#2に続く
「猪木は汚い。なんでボクシングをやらない」“屈辱の敗戦”直前、アントニオ猪木の身体は壊された…“死の強行軍”と呼ばれたヨーロッパ遠征の真実

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