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「猪木は汚い。なんでボクシングをやらない」“屈辱の敗戦”直前、アントニオ猪木の身体は壊された…“死の強行軍”と呼ばれたヨーロッパ遠征の真実

posted2024/05/17 11:03

 
「猪木は汚い。なんでボクシングをやらない」“屈辱の敗戦”直前、アントニオ猪木の身体は壊された…“死の強行軍”と呼ばれたヨーロッパ遠征の真実<Number Web> photograph by 東京スポーツ新聞社

1978年11月23日、ヘーシンクの“ドタキャン騒動”により急遽対戦となった猪木とルスカ

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小佐野景浩

小佐野景浩Kagehiro Osano

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東京スポーツ新聞社

日本国内だけでなく、アントニオ猪木は海外でも数々の名勝負を繰り広げた。その中でもファンにとりわけショックを与えたのが、1978年のローラン・ボック戦での敗北である。シュツットガルトの惨劇と呼ばれた伝説の一戦に至る『欧州世界選手権シリーズ』の実態を、同行した当時の新日本プロレス営業本部長・新間寿氏の証言を元に解き明かす。G SPIRITS選集 第一巻-昭和・新日本篇』(G SPIRITS BOOK/辰巳出版)からの抜粋でお届けする。(全3回の第2回)

1978年11月8日、ボックとの初戦で「右肩から骨が飛び出す」ほどの怪我を負った猪木は、痛みを隠しながら欧州の猛者たちとの対戦を続けていく。

◆◆◆

ヒートアップしていった猪木とボックの“遺恨”

 そんなバッドコンディションでありながら、第3戦では元プロボクサーのカール・ミルデンバーガーと異種格闘技戦で激突。ミルデンバーガーは、66年にフランクフルトで当時のWBC世界ヘビー級王者アリに挑戦した地元の英雄である。

 しかも猪木はチャック・ウェップナー戦で着用したオープンフィンガーグローブではなく、8オンスの普通のボクシンググローブを着用して試合に臨んだから無謀とも思えるが、延髄斬りでダウンを奪い、最後は逆エビ固めで勝利。この直後、ボックが仕掛けた。

「逆エビで勝ったところでボックがリングに入ってきて、“猪木は汚い。グローブをはめたなら、何でボクシングをやらないでプロレスの技を使うんだ。俺が今、ここでやってやる!”ってね。そのままミルデンバーガーのグローブを着けて猪木さんとやろうとしたんだけど、結果的にはセコンドやレフェリーに止められて……なんてこともあったね。そういう感じで2人の遺恨がうまい具合にヒートしていったんだよ」

 つまり、ボックはレスラーとして“アリと戦った男”を倒すだけでなく、プロモーターとしてもシュツットガルトでの本番をいかに盛り上げるか考えていたのだ。

猪木は投げられまくり“壊された”

 他にも興味深い試合がいくつも実現しているが、特に注目したいのがアマレスの強豪として知られているウィルフレッド・ディートリッヒとの激突である。ディートリッヒは56年のメルボルンでグレコ銀、60年のローマでフリー金&グレコ銀、64年の東京でグレコ銅、さらに68年のメキシコでもフリー銅と4大会にわたって五輪でメダルを獲得している真の実力者。それもあって猪木は実はボックではなく、このディートリッヒにスープレックスで投げられまくり壊されたという説もあった。

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