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「猪木は汚い。なんでボクシングをやらない」“屈辱の敗戦”直前、アントニオ猪木の身体は壊された…“死の強行軍”と呼ばれたヨーロッパ遠征の真実
posted2024/05/17 11:03
text by
小佐野景浩Kagehiro Osano
photograph by
東京スポーツ新聞社
1978年11月8日、ボックとの初戦で「右肩から骨が飛び出す」ほどの怪我を負った猪木は、痛みを隠しながら欧州の猛者たちとの対戦を続けていく。
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ヒートアップしていった猪木とボックの“遺恨”
そんなバッドコンディションでありながら、第3戦では元プロボクサーのカール・ミルデンバーガーと異種格闘技戦で激突。ミルデンバーガーは、66年にフランクフルトで当時のWBC世界ヘビー級王者アリに挑戦した地元の英雄である。
しかも猪木はチャック・ウェップナー戦で着用したオープンフィンガーグローブではなく、8オンスの普通のボクシンググローブを着用して試合に臨んだから無謀とも思えるが、延髄斬りでダウンを奪い、最後は逆エビ固めで勝利。この直後、ボックが仕掛けた。
「逆エビで勝ったところでボックがリングに入ってきて、“猪木は汚い。グローブをはめたなら、何でボクシングをやらないでプロレスの技を使うんだ。俺が今、ここでやってやる!”ってね。そのままミルデンバーガーのグローブを着けて猪木さんとやろうとしたんだけど、結果的にはセコンドやレフェリーに止められて……なんてこともあったね。そういう感じで2人の遺恨がうまい具合にヒートしていったんだよ」
つまり、ボックはレスラーとして“アリと戦った男”を倒すだけでなく、プロモーターとしてもシュツットガルトでの本番をいかに盛り上げるか考えていたのだ。
猪木は投げられまくり“壊された”
他にも興味深い試合がいくつも実現しているが、特に注目したいのがアマレスの強豪として知られているウィルフレッド・ディートリッヒとの激突である。ディートリッヒは56年のメルボルンでグレコ銀、60年のローマでフリー金&グレコ銀、64年の東京でグレコ銅、さらに68年のメキシコでもフリー銅と4大会にわたって五輪でメダルを獲得している真の実力者。それもあって猪木は実はボックではなく、このディートリッヒにスープレックスで投げられまくり壊されたという説もあった。