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大黒柱のスプリンターは急逝…投擲エースはスポーツデータの解析業に 22年前、陸上競技で“全国総合優勝”「もうひとつの大社旋風」その後の物語
posted2024/09/08 11:03
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
取材対象者提供
今夏の甲子園で、大躍進を果たしたのが島根代表の大社だった。“旋風”とも称されたベスト8進出だったが、実は他競技では以前にも「奇跡の大躍進」を果たしたケースがある。22年前、大社の陸上競技部はインターハイで男子総合優勝という快挙を成し遂げた。「普通の県立高」が起こしたミラクルのウラには、一体なにがあったのだろうか?《全3回の3回目/最初から読む》
2002年、陸上競技のインターハイで総合優勝を果たしたのは、島根の県立高・大社だった。山陰の「普通の公立校」の全国制覇は、当時も大きな話題を呼んだ。
ポイントゲッターだったのは、スプリンターでチームの大黒柱だった野田浩之と、投擲のエースだった岡先聖太だった。野田はその後も年代別の日本代表に選ばれるなど活躍し、2人はともに早大に進学。大学でもインカレや日本選手権などで結果を残していた。
高校での快挙から9年後の2011年、その岡先は大学院を卒業して、社会人3年目に入っていた。
中学時代は砲丸投で日本一に輝き、高校では円盤投で全国トップクラスの実績を残した。野田らの仲間とともに、全国総合優勝という“大社旋風”も巻き起こした。大学進学後は競技に打ち込む傍らで、スポーツを学問の面から切り取る面白味にも出会えていた。
なぜ…突然届いた高校時代のエースの訃報
4年間の大学生活と2年間の大学院での経験を経た後、岡先は日本アンチ・ドーピング機構(JADA)に勤務していた。競技は続けなかった。
「長年、競技者として関わってきたスポーツの分野に関わりたい気持ちはずっと持っていたんです。でも就職を機に、その関わり方が変わった感じですかね」
そんな折、年明けのことだった。
岡先の下に届いたのは、突然の野田の訃報だった。