Number ExBACK NUMBER
22年前の「もうひとつの大社旋風」…なぜ“島根の県立高”陸上部が「インターハイで総合優勝」できた? 原動力だった“伝説のエース”の正体
posted2024/09/08 11:02
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
Getsuriku
2002年の夏、岡先聖太は高熱で苦しんでいた。
砲丸投と円盤投、ハンマー投の3種目でインターハイ出場を決め、特に円盤投は優勝候補の一角でもあった。そんな中で、プレッシャーからか体調を崩したのだ。
7月末。チームメイトは皆、茨城で開催されるインターハイにすでに向かっていた。
何とか重い身体を引きずりながら、現地に岡先が到着したのは他の部員たちからは2日遅れのことだった。
「円盤は優勝、砲丸は入賞を……と思っていたのですが、なかなかコンディションが整わなくて。僕自身は最悪の調子だったんですけど、現地に着いたらチームメイトはどんどんテンション高くなっていって」
エースが個人種目&リレーで大活躍
チームの雰囲気が良くなっていったのは、大会2日目にチームのエースで主将でもあった野田浩之が100mで3位に食い込み、翌日には野田を含む短距離陣が400mリレーで優勝を決めたからだった。それを受けて、チーム全体での総合優勝(※各種目の1位~8位に8点~1点が与えられ、その合計得点で競う)も視野に入りはじめたのだ。
野田は、足の甲の故障の影響で1年近くほとんど走れない時期もあった。それでもコツコツとできる練習を重ね、結果を出し続けてきた。そんな背中にチームメイトの信頼も厚かった。
また、決して口数の多いタイプではなかったものの、岡先が「遊びの天才」と振り返るように、普段から仲間とふざけあう明るいキャラクターで、チームのムードメーカーでもあった。野田が前評判に違わぬ結果を残したことで、明らかにチームは勢いづいていた。
「野田君はまだ優勝候補だった200mもありましたし、最終日には自分の円盤投もあった。総合優勝って普通はそんなに陸上競技で意識することはないんですけど、全国に来てからは宿舎でみんなでうっすらポイントの計算をしたりはしていました。
サブ種目の砲丸投で自分が入賞する計算になっていて、『ごめん、それはこの体調では無理っぽい……』と思ったのを覚えています(笑)」