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「弱者への鈍感さに対する反発心が…」映画監督・西川美和が”落合博満”を描いた作家・鈴木忠平に語る「正しさ」への違和感《2人が「欠落」に惹かれる理由は?》
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byMiki Fukano
posted2024/05/11 17:01
映画監督・西川美和さんとノンフィクション作家・鈴木忠平さん。初対面の2人が「表現者」としての思考法をお互いに掘り下げた
「なくはないかもしれませんね。ただ、弱い者へのシンパシーとか優しい共感というよりは、力を持っている側が弱い者を置いていくことへの鈍感さ、そういうことに対する反発心みたいなものが核にあるのかもしれません。だから、傷ついた人を癒すという作風にはならないのかもしれませんが」(西川)
「『すばらしき世界』は3回観させてもらいました。西川さんの作品は、人間のドロドロした弱さだったり醜さみたいなものを容赦無く見せつけてくる。それは自分にとって脅えでもあり、期待でもあるというか。ワクワクして毎回、時間を忘れさせてくれるんです」(鈴木)
「でも、映画ぐらい良い気持ちにさせてよって言われるんですよ(笑)。現実が上手くいかないから映画を観にきているのに、なんでお金を払って自分の人生と近いものを観せられるんだって。そりゃそうだって私も思うんですけどね(笑)。
テーマ選びとは、少し話題がずれますが、鈴木さんのスポーツ・ノンフィクションは、『アンビシャス』を別にすれば、鈴木さんという書き手が<私>という形でしっかりと中心にありますよね」(西川)
「ノンフィクションの場合、自分が<私>視点で自分が見てきたものを書くっていうのは強いんです。だからそういうものを選ぶようにしてきたのですが、一方で誰かが提示してくれた題材を選んだ方が良いんじゃないかと思うこともありますね」(鈴木)
「ジャーナリズムは<私>という立場では書かないものが基本的には多い。SNSも匿名が多くて、それでいて"正しいこと"ばかりを言おうとする。メディアもソーシャルメディアもそうなっているなかで、鈴木さんは新聞記者時代のことをはじめとして、書き手としての屈託とか敗北感みたいなものも書かれている。過去とか自分の中の欠落みたいなものを開示しながら、<私>という目線で物事が語られていく。それが読み手にとっては重要だと思いますし、信頼感を感じる。読み手とちゃんと手を取り合うような書き方をされるから、単に落合さんや清原さんが何をした、という以上に、そこにある事実と読み手が近いものになっていくんじゃないでしょうか」(西川)
誰もがSNSで発信し、生成AIが登場してきた時代に、表現をするものと、その表現を受け取るものの間に生まれる信頼感はどこからくるのか。<私>に自覚的な2人の対談には、そのヒントがちりばめられていた。
【続きを聴く】5月15日まで初月99円キャンペーン中のサブスク「NumberPREMIER」の【Podcast】映画監督・西川美和と『嫌われた監督』鈴木忠平が語りあった「撮ること、書くことの不自由」《表現を巡る対談》で、対談全編をポッドキャストでお聴きいただけます。