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「弱者への鈍感さに対する反発心が…」映画監督・西川美和が”落合博満”を描いた作家・鈴木忠平に語る「正しさ」への違和感《2人が「欠落」に惹かれる理由は?》
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Number編集部Sports Graphic Number
photograph byMiki Fukano
posted2024/05/11 17:01
映画監督・西川美和さんとノンフィクション作家・鈴木忠平さん。初対面の2人が「表現者」としての思考法をお互いに掘り下げた
鈴木が名前をあげたのはテニス界の盟主だ。
2023年夏のウィンブルドン、36歳のノバク・ジョコビッチは、フェデラーに並ぶ通算8度目の王座を、そして男女を通じグランドスラム最多タイの24勝目を狙った(当時)が、弱冠20歳のカルロス・アルカラスに敗れてしまう。
その試合で「最も印象的」と鈴木が語るのは、最終セット第3ゲーム、ジョコビッチが先にブレークを許した場面。長く続いたラリーはアルカラスによる美しいダウン・ザ・ラインのウィナーで終わった。直後、感情を爆発させたのは王者の方だった。怒りに駆られたジョコビッチは、ラケットをネット端のポールに叩きつけ、破壊してしまう。
センターコートは大ブーイングに包まれ、一時騒然とした。
「15歳以上も歳の離れた選手が相手なのに、ここまで勝敗に執着するものなのか、と。敗れるにしても、王者の貫禄をもって退場すればカッコいい。そうすればジョコビッチが損なうものは何もないはずなのに。王者という立場になった人間に対して、自分が思い描いているイメージとは全く違っていました。あれを観た時、すごくゾクゾクしたというか。自分では決して生み出せないものなので」(鈴木)
西川も大きく頷いた。
「プロスポーツって大いなる本音と建前の世界じゃないですか。特にテニスはどんなスポーツよりも孤独で、誰にも頼れないのに紳士・淑女的な態度が重んじられる。4大大会の決勝の後のセレモニーでは、みんな完璧なスピーチをしますよね。その反面、動揺だったり苛立ちだったり悔しさみたいなものが腹の中に渦巻いている。そういうところも含めて面白い」
西川「絶対に休場だろうという怪我の仕方だったんです」
西川の脳裏に刻まれたスポーツシーンはあるのか。広島出身で根っからの鯉党の口から出てきたのはしかし、今年の春場所で110年ぶりの新入幕優勝を果たした尊富士の名前だった。
24歳の尊富士は、初土俵から史上最速に並ぶ9場所で新入幕を果たすと、初日から11連勝。14日目には優勝が決まる一番に臨むも、そこで右足首を負傷し、痛恨の黒星。取組後はまともに歩くこともできず、車椅子で退場し、救急搬送され、診断は右足首の靭帯損傷だった。
迎えた千秋楽、のちに「この先、終わってもいいと思って土俵に上がった」と語った尊富士は、大一番で相手を四つに組んで土俵際に追い込み、押し倒して劇的な優勝を決めた。西川はこの流れに物語の「芽」のようなものを感じ取っていた。
「絶対に休場だろうという怪我の仕方だったんですよね。千秋楽に出るというだけでも驚きましたが、勝ち方が本当に良かった。ただ、これからのキャリアのことを考えるとどうなんだろう、とも。この先が楽しみでもあり、同時に怖くなった一番でした。久しぶりに期待感を持たせてくれる関取が出てきたと思うんですが、やはりあの時に休んでいれば、となるのか。あるいは、あの時に出たから良かった、となるのか。なにか節目になるような一番だったんじゃないでしょうか」
鈴木が取材者の顔になり、「そういう時は心配になるんですか? それとも……」と質問をすると、西川はすかさず答えた。
「楽しみです(笑)。色んな意味で」
取材で訊く「エアコンがついていたか」「ソファの色は?」
臨場感溢れた鈴木のノンフィクション作品について、西川は「どんなふうに取材されて、書かれているのかを知りたいと思って来た」と言う。
「鈴木さんの書かれる人の言葉は、良い意味で外連味があるというか、艶があるというか。聞かせる言葉、読ませる言葉になっているなと思うんです。取材対象者の過去の場面なども、本当に見てきたように書かれますよね。深いところまで取材されているんだろうと思うんですけど、こんなかっこいいシーンを描くための言葉をほんとうに聞けるのかな、と(笑)」