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「弱者への鈍感さに対する反発心が…」映画監督・西川美和が”落合博満”を描いた作家・鈴木忠平に語る「正しさ」への違和感《2人が「欠落」に惹かれる理由は?》
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Number編集部Sports Graphic Number
photograph byMiki Fukano
posted2024/05/11 17:01
映画監督・西川美和さんとノンフィクション作家・鈴木忠平さん。初対面の2人が「表現者」としての思考法をお互いに掘り下げた
鈴木は苦笑しながら「自分の取材は相手をイライラさせてしまうんです」と返答。取材にあたって、鈴木は登場人物が遭遇した「場面」を文章で再現するために、対象の気持ちや言葉だけでなく、その時、エアコンはついていたか、ソファの色は何色だったかなど、一見テーマとは無関係なことを詳細に尋ねるという。
「相手は私が書きたいことが見えないから、一体なにが書きたいんだ! となる(笑)。でも、自分が書きたいのはシーンなんです。場面や空気感を描こうと。それが没入感に繋がりますし、そういう物語を作りたいと思っているんですよね」
これには西川も納得顔だ。
「鈴木さんは、鞄や着ているスーツの質感、車の車種みたいなことまで書かれる。そういうところから人物像が立ち上がってくるようですよね」
では、自ら執筆した脚本をもとに「場面」を映像というかたちで表現していく西川の方はどうか。さぞ緻密に脚本に描いているかと思いきや、そうではないという。
「脚本の1ページは、映像では約1分強くらいになるといわれているんですよね。映画会社や出資者には、120ページの脚本だから約2時間で予算や配給の許容範囲内だろう、というような読まれ方をされるものです。だから分厚すぎる脚本だと、そんなにお金は出せない、撮りきれない、などと判断をされてしまい、そこで豊かな散文表現はできないんです。
最小限、何が必要でどういう動きをするかということだけが分かればいい。文学的な表現は好まれなくて本当に『具体』のみ。青写真なんです、脚本は。あとはスタッフとのコミュニケーションのなかで詳細を詰めていきます。例えば、脚本に書いてあるペットボトルの水には何か指定がありますか、みたいに」
2人が「欠落」を抱える人物に魅かれてしまうワケ
創作論はそれぞれのテーマ選びにも及んだ。鈴木は『嫌われた監督』では落合博満を、『虚空の人』では清原和博を描いてきたが、西川の目線にも共感を覚えるという。
「西川さんはエッセイの中で、1988年のいわゆる10.19、近鉄優勝ならず、を放映したテレビ中継を印象的に書かれていて、負けた仰木彬監督について触れてます。あるいはまた、フィギュアスケートの伊藤みどりさんのことも。今はスラリとした完璧な体型のスケーターがいる中で、必ずしもそうとは言えない伊藤さんのスケーティングの良さを描かれている。
自分もノンフィクションのテーマを選ぶにあたって、負けた側や完璧でない人、欠落がある人を選ぶ傾向にあって、なんだか勇気づけられたところがあります。これはエッセイの中での話ですが、西川さんがどうやって映画、つまり脚本の題材を選んでいらっしゃるのか、すごく興味があるんです」
西川は「意識的にそういうものを選んでるつもりはない」と言いつつも、表現者としての自分を掘り下げていく。
「なんとなく陽の当たらないものやルーザーを選びがちだなというのは、書いた後に気づくんです。なぜそうなるか自分でも説明がつかないところがあるんですが、後ろ暗いものだとか、加害者の罪悪感みたいなものに吸い寄せられることが多くて。(自分の)前世が前科者なのかなって思うことがあるんですけど(笑)」
このあたりから2人の対談のテンポもあがっていった。
「西川さんはご自身のルーツだったり、実体験だったりが関係しているとは思いますか? 自分なんかはちょっとあるんですよ。スポーツでたくさん挫折をしていますし、あとは兄が『すばらしき世界』の主人公のような人間だったので、一見すると欠落のない人より、どうしようもなく足りないものがある人に引き寄せられるのかな、と」(鈴木)
「他人に同情されるような厳しい幼少期を送ったわけでもないですし、映画の作り手としてはどちらかといえば順風満帆なタイプだとは思うんです。でも、子供の頃からなにか一番になったことがなかったというのはあるかもしれませんね」(西川)
「新刊のなかに、小学生時代のバレーボール部での出来事が書かれてありますよね。強豪チームに所属していたとはいえ、小学生なのに球拾い要員をさせられていたっていう。そういう苦い経験は西川さんご自身の題材選びに潜在的に影響したりしているのでしょうか?」(鈴木)