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“実績なしの3年生”は、なぜ箱根駅伝で「衝撃の区間新記録」を叩き出せたのか? 東海大逆転Vの立役者が語る「黄金世代を追いかけた」3年間
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byJIJI PRESS
posted2024/05/18 06:00
2019年の箱根駅伝で初の大学駅伝デビューとなった小松陽平。8区で区間新の走りを見せ、首位・東洋大をとらえ、東海大逆転優勝の立役者となった
全日本大学駅伝選考会を2位で突破し、小松は本大会の出場を狙ったが出走メンバーに入れなかった。その際、両角監督に「予選会を突破できたのは小松のおかげだと思っている。メンバーに入れたいけど、まだ実績など足りないところもある」と言われた。メンバーの基準となる10000mは、多くが28分台のタイムを持つ中、小松の自己ベストは29分15秒だった。箱根駅伝も大会前の合宿に参加したが、最終的に16名の登録メンバーに入ることができなかった。
「その時は、めちゃくちゃ泣きました。監督に『小松が本気になってメンバーに絡もうという姿勢はすごく評価している。だが、ハーフの実績がまだ足りない』と言われたんです。確かに僕はハーフのタイムがなかった。めちゃくちゃ調子がよかったので走れる自信があったんですが、実績と言われると悔しいけど、諦めるしかなかったんです」
本当に箱根を走れるのか不安だったんですけど…
3年になり、出雲、全日本と出番がなく、小松は東海大の箱根駅伝の選考レースとなる上尾ハーフに臨んだ。63分07秒(16位)で中島怜利、阪口竜平に次いで部内3位となり、箱根駅伝の出場をほぼ手中に収めた。その後、合宿に入り、往路の主力選手には区間配置が告げられていた。小松は、メンバーの顔触れからうっすらと10区かなと思っていたが、最初に言い渡されたのは想定外の6区だった。
「クリスマスの頃、中島が『足が痛い』というので、急遽、6区と言われました。特殊区間で、とても小野田(勇次・青学大)さんみたいには走れないと思っていたら28日になって中島が走れるようになったんです。それで『8区行くぞ』って監督に言われて、29日、二人でコースを見に行きました。車のなかでコースの説明を受けて、最後に戸塚中継所に着いた時、『どうだ、小松、行けそうか』って聞かれたんです。僕は絶好調だったので『行けます』と答えたら『じゃ頼むぞ』と言われました。本当に箱根を走れるのか不安だったんですけど、そう言われた時は嬉しかったですね」