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「あの馬が世代最強」「来年は全部これに持っていかれるな」名手たちが絶賛した“消えた天才”…28歳で大往生“芦毛の怪物候補”を覚えているか
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph bySankei Shimbun
posted2024/04/11 11:04
他馬より2キロ重い斤量を背負ってクロッカスSを快勝したスピードワールド。単勝オッズは1.1倍だった
その後、翌1998年のオーロカップで柴田善臣が乗って2着、1999年の関屋記念で的場が騎乗して3着と、馬券圏内には2度入っただけで、旧7歳時の2000年11月19日のオーロカップで11着に敗れたのを最後に現役を引退、種牡馬となった。
種牡馬としては、地方競馬の重賞勝ち馬を数頭出すにとどまった。
種牡馬引退後は功労馬としてスピードファームで過ごし、2022年8月10日、28歳で世を去った。第2、第3の「馬生」も生き抜いたすえの大往生であった。
“主戦騎手の怪我”が不振のきっかけに?
本稿を読みながら「この馬も的場だったのか」と思った方は少なからずいるはずだ。
なぜ「この馬も」なのかというと、1990年に最優秀3歳牡馬となったリンドシェーバー、1990年代の終わりに活躍したグラスワンダーとエルコンドルパサー、そして、芝・ダートの二刀流で成功したアグネスデジタルといった外国産馬(それも競馬史に残る強豪)にも、的場が騎乗していたからだ。「的場均」といえばライスシャワーを思い浮かべる人が大多数かもしれないが、強いマル外の背でターフを沸かせた名手でもあったのだ。
それにしても、と思う。この「消えた天才」シリーズで前に取り上げたモノポライザーも、シルバーステートも、不振に陥ったり、路線に乗り損ねたりするきっかけに、自身の故障のみならず、主戦騎手の怪我も影響したように見受けられる。新たな鞍上がどんな名手であっても、特に若駒のときは、ちょっとしたリズムの変化がキャリア全体に響いてしまうほど、サラブレッドというのはデリケートな生き物なのだろう。
<「オーシャンエイプス編」とあわせてお読みください>