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“定年間近”の指導歴42年も「成功体験に引っ張られると失敗する」「肩書きはベースボールクライマー」愛工大名電・倉野光生監督65歳が語る
posted2024/03/21 17:17
text by
間淳Jun Aida
photograph by
Jun Aida
愛工大名電の倉野光生監督は、チームの指導者になって42年が経つ。
「あっという間だったね。もう少し、監督を続けさせてほしいなと思っています」
現在65歳。教員としての定年は目前に迫っているが、まだ過去を振り返るつもりはない。
シーズンオフに雪山を1人で歩くライフワーク
倉野監督は愛工大名電の前身、名古屋電気高校時代に主将を務めた。愛知工業大学で捕手として明治神宮大会に出場し、卒業と同時に母校のコーチに就任。工藤公康氏やイチロー氏らプロ入りした数々の野球選手の指導にあたった。1997年、38歳の時に中村豪氏から監督を引き継いだ。
指揮官に就任した頃から、倉野監督は新たな“ライフワーク”を取り入れた。冬山の登山。シーズンオフに入る冬場、1人だけで山に登る試練を自らに課した。
「雪山では色がなくなって、白と黒だけの世界になります。1人で何時間も、ひたすら歩く。恐怖や不安との戦いです」
夏はハイキングを楽しむ人でにぎわう山は、冬になると表情を変える。吹雪になると50センチ先の視界もはっきりせず、雪が積もればルートの目印となる他の登山者の足跡は消える。遭難のリスクとは隣り合わせだ。
雪山の気温はマイナス20度ほど。汗はつららとなり、持参している水やおにぎりは凍る。食べられるのはチョコレートだけ。命の危険を感じたこともあったという。登山届を提出して保険をかけているとはいえ、全ては自己責任。頼れるのは自分の判断しかない。極限状態で知るのは己の弱さ。今、歩いているルートは正しいのか。常に判断を迫られる。
「雪山にいると自分の弱さを知り、いかに優柔不断なのかを痛感します。選んだ道は正しいのか不安になります。それでも、様々な状況から一番良い方法を選び、決断したら自分を信じて前に進んでいきます」
雪山の登山が野球の考え方の基礎に
なぜ、危険を冒してまで冬山に挑むのか。倉野監督には明確な答えがある。