甲子園の風BACK NUMBER
“定年間近”の指導歴42年も「成功体験に引っ張られると失敗する」「肩書きはベースボールクライマー」愛工大名電・倉野光生監督65歳が語る
text by
間淳Jun Aida
photograph byJun Aida
posted2024/03/21 17:17
精力的な指導を見せる愛工大名電の倉野光生監督(65歳)
倉野監督は石見選手を1年生の時から外野の一角で起用してきた。打力を高く評価し、性格的に外野手が向いていると判断した。ところが、昨秋の東海大会を終えて、石見選手から遊撃手に転向したいとの要望を受けたという。
「中学時代に投手と遊撃手だったことは知っていました。ただ、協調性や責任感に長けたタイプではないので、外野の方が打力を生かせると思っていました。東海大会で負けてから、石見が『チームの弱点は内野にあるので、自分が内野に入ってチームを強くしたいです』と言ってきました」
倉野監督は本人の希望通りに外野手から遊撃手へコンバートした。
自覚と責任感が芽生えた石見選手は、チームに守備の安定感や自信をもたらした。「駄目なら、すぐに外野に戻すからな」と伝えていた指揮官が「こんなにしっかりしたタイプだったのかと驚いています。石見が遊撃に入ってチームの雰囲気が変わりました」と信頼を寄せるまでの成長を見せている。
指導者が成功体験に引っ張られると、失敗してしまう
愛工大名電は昨夏も甲子園に出場した。石見選手は3番に座っている。もし、内野手転向によって守備の負担が増えて打撃に影響が出れば、チーム力の低下は避けられない。チームを指揮する立場としては、計算できる選手を打線の中軸に据えて安心したい気持ちがある。
だが、倉野監督は常に可能性を模索する。選手が毎年入れ替わる高校野球では、柔軟性を失うと選手の良さを生かせないと考えている。
「選手は能力も性格も違います。甲子園に出ると、その時の打順や投手起用をなぞろうとしてしまいがちです。例えば、3人の投手を3イニングずつ投げさせたり、1番から3番まで左打者を並べたりして甲子園に出た翌年は同じようにチームをつくって、同じ結果を出せると思ってしまうわけです。でも、同じチームをつくるのは不可能です。指導者が成功体験に引っ張られると、失敗してしまいます」
甲子園出場や日本一の目標は毎年同じでも、チームづくりの方法は異なる。同じ山を登る時でも、天候によって判断やルートが違うように。
愛工大名電は今春、12年ぶり10回目のセンバツに臨む。「昨夏に甲子園を経験したアドバンテージはありますが、そこにとらわれてはいけないと思っています」と倉野監督は語る。
工藤公康やイチローに山崎武司、東克樹らプロで活躍する選手の高校時代を見てきた65歳の指導者は――まずは柔軟に考えて、方法を選択したら迷わず貫く。冬山を制すように、全国の頂点までのルートを描いている。