巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
巨人OBは落合博満批判を続けた「41歳の落合に居場所ない」“33億円補強”巨人がまさかの最下位転落…そして落合の“名球会拒否”事件が起きた
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/02/25 11:05
1995年4月15日の阪神戦。通算2000安打を本塁打で達成し、花束を受ける落合
落合「すぐ引退と書かれるからな」
宮崎での“ひとりキャンプ”を終え、ようやくオープン戦に出場したのが開幕を目前に控えた3月21日のダイエー戦。背番号6は「4番一塁」で東京ドームに登場すると、いきなり第1打席で工藤公康からセンター前ヒットを放ち、4打数2安打と結果を出してみせた。しかも、この試合で代名詞の胸の正面にバットのグリップを掲げる神主打法から、剣道の中段のような構えでバットを下げてスタンスを狭くとる新打法を試している。
「週刊ベースボール」1995年4月10日号では、落合自身が打撃改造の意図を「もともとバランスで打っていた選手が、ここ何年か崩されっぱなしだから」と説明。直後に元のフォームに戻すが、「数字を残さないと、すぐ引退と書かれるからな」なんて不敵に言い放つ41歳の四番打者に対して、長嶋監督は「久しぶりに出て来て2本ですか。あれがプロなんですね。こういう生き様を、みんなわかってくれるのかな?」と変わらぬ信頼を口にした。
まさかの最下位転落…そして「名球会拒否」事件
4月7日の開幕戦、東京ドームは約2週間前に起きた地下鉄サリン事件の余波で、爆発物処理班など約700名の警察官が配置される厳戒態勢下での試合開催となった。因縁の野村ヤクルトを本拠地に迎え、空前の33億円補強を敢行した巨人の開幕スタメン野手に生え抜きは、岡崎郁、川相昌弘、松井秀喜の3名のみ。注目の4番には、新戦力組のマックや広沢らではなく、通算2000安打にあと8本の落合が座った。
だが、優勝候補の大本命・長嶋巨人は開幕からつまずく。3連戦の初戦こそエース斎藤雅樹の開幕2年連続完封勝利で先勝するも、2戦目は完封ペースで飛ばしていた桑田真澄が、9回表の先頭打者・飯田哲也に頭部死球を与え危険球退場。急きょマウンドへ送られたリリーフ陣が5失点と踏ん張り切れず、野村克也監督は「ルールがヒーローや」と試合後に笑い、のちに落合も「ヤクルト独走のきっかけの試合」と振り返る痛恨の逆転負けとなった。早くもハウエルが左足カカトを打撲して、代わりに原辰徳が「七番三塁」でスタメン出場も機能せず。負の連鎖は続き、3戦目は最終回にマックの痛恨の送りバント失敗もあり、開幕カード負け越し。自慢の“5点打線”も看板倒れに終わり、スタートダッシュに失敗した巨人は、4月15日の阪神戦で4連敗を喫すると、1037日ぶりの最下位に転落してしまう。
その渦中にあの事件が起きるのだ。「落合博満、名球会入会拒否騒動」である。
<続く>