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メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
MLB最速で500奪三振に到達も、野茂英雄が口にした「メジャーはそんなに甘くない」…ドジャースの初代日本語通訳が明かす「NOMOフィーバーの裏側」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byKoji Asakura
posted2024/02/24 11:07
野茂英雄のドジャース時代の初代通訳が見た約30年前の名門球団の実像とは?
「ラソーダ監督が突然『いいことを思いついたぞ。今からバットボーイのユニフォームを着ろ。お前は今日から英語と日本語を喋るバットボーイだ!』って言い出したんです。実際に野茂が登板する公式戦でドジャースのバットボーイの制服を着てベンチの横に待機したことがありました。審判に気づかれないようにずっと下を向いて、バット引きをしてはダッシュで戻る。こっそりと野茂のサポートもして……(笑)。3、4試合くらいでしたかね。最後はメディアに気づかれて書かれてしまって、その後は出来なくなりました」
ファミリー色が強かった1990年代のドジャース
野茂がメジャーリーガーとして一歩を踏み出したドジャースにはその後、石井一久や斎藤隆、前田健太、ダルビッシュ有ら多くの日本人選手が所属。今季からは大谷、山本もユニフォームに袖を通し、再び注目度が高まっている。球団職員として3年間所属した奥村氏から見て、そのチームカラーや伝統的な球団の気質はどのようなものなのだろうか。
「当時はオマリー会長のファミリー経営だったので、選手や選手の家族、職員に対して温かく“ファミリー色”が強かった。一方で現場の選手たちは仲が良くても勝負への厳しさをきっちり持っていました。試合後に、あのプレーはおかしくないか? というような怒鳴り合いはしょっちゅうあったし、シャワールームで取っ組み合いが起きていたことも。チーム経営に大きな資本が入り、変わってきているでしょうけど、絆を大切にするというカラーや勝負への厳しさという気質は今も残っていると思います」
「コントロール養成マシン」も
ロサンゼルスという土地柄もあり、新しいことをどんどん取り入れる進取の気性も特徴だ。奥村氏の在籍時には、一般にパソコンが普及する前だったにも関わらず、早々にITを駆使し、最新の機材を導入していたという。
「ドジャースには95年当時から映像をベースにした最新のデータシステムがありました。スカウトも自分でプログラミングしたソフトを作っていて、驚いたことを記憶しています。チームには『コントロール養成マシン』もありました。パソコンを使って一点に向かう集中度を高めるゲームのようなものですが、視覚の集中力が高まってコントロールが良くなるということで選手は全員、毎日それをやらなければいけなかった。当時でそんな状況でしたから、今ではさらに凄いシステムや最新の機械が導入されていると思いますよ」