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ドジャース・野茂英雄「野球を楽しみたい」発言に「日本メディアの8割が怒った」…初代通訳・奥村政之が振り返る「1995年のトルネード旋風」

posted2024/02/24 11:06

 
ドジャース・野茂英雄「野球を楽しみたい」発言に「日本メディアの8割が怒った」…初代通訳・奥村政之が振り返る「1995年のトルネード旋風」<Number Web> photograph by Koji Asakura

記者会見で隣に座る初代通訳の奥村政之。間近で見守ってきた奥村は当時のトルネード旋風をどう見ていたのか

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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Koji Asakura

 大谷翔平投手に加え山本由伸投手も加入し盛り上がりを見せるロサンゼルス・ドジャース。日本人メジャーリーガーとドジャースといえば、パイオニアである野茂英雄を忘れてはいけない。今から29年前の1995年、L.A.と日本を席巻した「NOMOフィーバー」はどのようなものだったのか。野茂の初代通訳として共に熱狂を駆け抜け、現在は東京ヤクルトスワローズの編成部参事、国際グループ担当部長を務める奥村政之氏に聞いた。〈全2回の前編/続きを読む〉

今日からあなたはドジャースの社員です

 1995年2月13日。未解決事件「ロス疑惑」の舞台にもなったロサンゼルス市内の「ホテル・ニューオータニ」(当時、現ダブルツリー)で、野茂英雄の入団会見が開かれた。ごった返す日米メディアに混ざり、報道陣席の片隅で奥村氏はその様子を眺めていた。

「履歴書を持ってくるようにと言われていたんです。野茂の会見の後、当時のフレッド・クレアGMと面会すると、すぐにこう告げられました。『今日からあなたはドジャースの社員です。配属は広報部。3月1日から野茂と(当時のキャンプ地の)ベロビーチに行ってください』。球団職員としてフルタイムで務める日本語の通訳は、MLBの歴史の中で僕が初めてでした」

 会見の少し前に対面していた野茂の印象は、奥村氏の抱いていたイメージを覆すものだった。近鉄バファローズと揉めに揉め、任意引退扱いでMLBに挑戦した野茂は日夜マスコミに追いかけられ常に険しい顔つきをしていたからだ。

「それまで見ていた映像の中では笑った顔を見たことがなかった。でもロサンゼルスに着いた野茂は本当に嬉しそうで、何かから解放されたように常に笑みが溢れ出ていました。英語力という意味では当時はゼロでした。全く喋れない状態。というか、当時の日本のプロ野球界で英語を勉強していた選手なんてほぼいませんでしたから」

就活のため、ドジャースを訪れた時には…

 ドジャース入りは、急転直下の決定だった。こんな裏話がある。入団会見から遡ること2カ月前の94年末、奥村氏は自身の就職活動のためドジャースのスカウト部長を訪ねた。それまでマイナーリーグでメジャー昇格を目指すマック鈴木のサポートをしていたが、MLBのストライキにより職を失っていたからだ。

【次ページ】 NYに行く寸前で「その飛行機には乗らないでください」

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