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「お前、何を言うとるんじゃ!」森保一監督が怒鳴られた“アマチュア時代”「私も生意気でした」2度の激怒が“補欠選手”森保を変えた 

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木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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posted2024/02/15 11:06

「お前、何を言うとるんじゃ!」森保一監督が怒鳴られた“アマチュア時代”「私も生意気でした」2度の激怒が“補欠選手”森保を変えた<Number Web> photograph by AFLO

1992年、Jリーグ開幕前夜の森保一(当時23歳)。高卒でマツダに入団した森保、3年目までリーグ戦出場ゼロだった

 その日、出番がなかった森保は試合後、チーム用具をバスに積むと、チームメイトよりも先にバスの席に着いた。最低限の雑用は済ませているものの、真のチームプレーヤーならロッカールームに戻って手伝えることを探すだろう。

 今西は車内で待つ森保を見つけると、間髪入れず怒鳴りつけた。

「試合で疲れとる選手がおるのに、何で先に座っとるんや! お前が席に着くんは、全員が乗り込むんを見届けてからじゃろうが」

 先に席について不貞腐れても何も生み出さない。チームのためにできることを探した方が、気持ちが前向きになって自分にとってもプラスだ。一見、体育会系の理不尽な要求に思えるが、決してそうではない。

2度の叱責が森保を変えた

 選手が「チームの輪」を強く意識し始めると、あることが自然にできるようになる。

 それは自己の客観視だ。

 チーム全体を見るためには俯瞰した視点を持たなければならず、自ずと自分を高いところから見られるようになる。客観視ができるのとできないとでは、成長スピードに大きな差が出るだろう。

 森保はマツダ入団時に1人だけ子会社採用となり(第7回参照)、現実を突きつけられ、同年代に比べてある程度の客観視をできるようになっていた。ただし、まだまだ発展途上でのびしろがあった。今西はそれを見抜き、より高いレベルの視野の広さを要求したのではないだろうか。

 その後、改心した森保はマツダ3年目に日本リーグデビュー。デビュー戦で2ゴールを決め、チーム内でのポジションを確立し始める。

 今西による本気の叱責が、森保の成長にブーストをかけたことは間違いない。

<続く>

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森保一(もりやす・はじめ)

1968年8月23日、静岡県生まれ。長崎県出身。1987年に長崎日大高を卒業後、マツダサッカークラブ(現・サンフレッチェ広島)に入団する。現役時代は、広島、仙台などで活躍し、代表通算35試合出場。1993年10月にドーハの悲劇を経験。2003年に現役引退後、広島の監督として3度のJ1制覇。2018年ロシアW杯ではコーチを務め、2021年東京五輪では日本を4位に、2022年カタールW杯ではベスト16に導いた

#13に続く
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