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森保一監督の告白「あのときは悔しかった」18歳での“屈辱の経験”「給料も1万円少なくて…」“超無名”の高校生が日本代表になるまで

posted2024/02/03 11:02

 
森保一監督の告白「あのときは悔しかった」18歳での“屈辱の経験”「給料も1万円少なくて…」“超無名”の高校生が日本代表になるまで<Number Web> photograph by J.LEAGUE

1993年、Jリーグ開幕時の森保一(当時24歳)。無名の高校生だった森保がJリーグにたどり着くまでには想像以上の苦労があった

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木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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アジアカップを戦うサッカー日本代表。その指揮官・森保一(55歳)とはいったい何者なのか? 森保の地元・長崎、そして広島、仙台を徹底取材して見えてきた“意外な素顔”とは? ライター木崎伸也氏がNumberWeb集中連載でレポートする。【連載「誰も知らない森保一」の第7回/第8回も公開中】

◆◆◆

「森保は利口なところがあって…」

 森保一の武器は「人から話を聞いて吸収する力」である――。そう評するのは、サンフレッチェ広島時代に中盤でコンビを組んでいた風間八宏だ。

『ぽいち 森保一自伝』(西岡明彦との共著)において、風間は次のように語っている。

「『聞いて吸収できる人」という印象で、それが彼の特徴でもあった。(中略)

 いい選手になる素質というのは、いいプレーを盗む<吸収力>と、正しい判断を下せる<選択力>を持っている人。彼はその能力が相当優れていたのだと思います」

 サンフレッチェでGMを務めた今西和男も同じ見方をしている。今西はマツダ(サンフレッチェ広島の前身)総監督時代に、無名の高校生だった森保を発掘した人物だ。

 今回、『聞く、伝える、考える。』(今西和男著)の出版に合わせて広島を訪ねると、今西は2人の違いをこう説明した。

「八宏は技術があるだけでなく、サッカーに対して確固たる自分の考えがあった。知識に絶対の自信があり、自分はこういうサッカーをするんだという理想像を持っていた。本当にサッカーが大好きで、負けん気が強く、後にも先にもこういう選手に会ったことがない。

 一方、森保は利口なところがあって、八宏のところに行っていろいろ話を聞き、人の経験を自分のものにしようとしていた。八宏と同部屋になると、ずっと森保は話を聞いていたそうです」

「屈辱的な経験」

 森保は平凡な選手だったにもかかわらず、日本代表にまで上り詰めた「下克上の男」だ。それを実現できた理由のひとつに「人から話を聞いて吸収する力」があったのだろう。

 なぜ森保はプライドに縛られず、とことん謙虚に人に話を聞ける人間になったのだろう? おそらく高校から実業団に入るときの「屈辱的な経験」が関係している。

【次ページ】 「屈辱的な経験」

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