誰も知らない森保一BACK NUMBER
「高校まで全く無名だった」森保一監督の人生を変えた“1通の年賀状”…なぜ名門マツダに入団できた? 同期は疑問「なんでこいつおるんやろ?」
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2024/02/03 11:03
1993年9月の日本代表合宿で。森保は当時25歳。この前年に初めて日本代表入りするまで、ほぼ“無名”の存在だった
「僕が先輩だったこともあってか、森保はすごく温和で、気を遣ってくれていたと思います。ただ、芯の強さは感じていましたね。自分だけ会社が違うのはやっぱり悔しかったと思います。
今、僕が学生によく言うのは、森保はとんでもなく素直で、吸収する力があったと。人の話を聞いて、人のプレーのいいところを盗める。心が弱い人間は何かアドバイスされても、プライドが邪魔をして受け入れることができない選手は、伸びない。森保にはそれがまったく見られない。
よく技術の高さや発想力に対して天才という言葉が用いられますが、森保は『吸収の天才』なんですよ。学生たちにはそれを見習おうと言っています」
「鎌田大地の提案」を受け入れた
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今、「人から話を聞いて吸収する力」は日本代表監督として存分に生かされている。
2022年9月のドイツ遠征で吉田麻也らベテラン選手5人が森保監督に「もっと細かく指示を出して欲しい」と要求したターニングポイントがあった。森保監督はそれを受け入れ、ミーティングでより明確な例を示すようになった。
その日を境に、日本代表では選手たちが「こうしたらいいのではないか?」とさまざまな提案をしやすい空気が生まれた。その代表例がカタールW杯グループリーグ第3節のスペイン戦に向けた鎌田大地による提案だ。鎌田はフランクフルトがEL準々決勝でバルセロナに勝利した守備法をチームメイトに説明。森保監督が受け入れ、そのやり方を日本代表用に修正した。選手自身がチームづくりに責任を持ってコミットしたことが、カタールW杯における最大の勝因になった。
カタールW杯では吉田麻也キャプテンが選手たちを代表して監督に伝えていたが、現在は各選手が思い立ったときに監督やコーチに話すというよりフラットな体制になっている。それによってアーセナルやブライトンといったトップクラブのエッセンスが日本代表に注入されるようになった。
世界の代表チームの中で、これほど選手の声が反映されている組織はないだろう。その核にあるのが森保監督の「人から話を聞いて吸収する力」である。
<続く>
森保一(もりやす・はじめ)
1968年8月23日、静岡県生まれ。長崎県出身。1987年に長崎日大高を卒業後、マツダサッカークラブ(現・サンフレッチェ広島)に入団する。現役時代は、広島、仙台などで活躍し、代表通算35試合出場。1993年10月にドーハの悲劇を経験。2003年に現役引退後、広島の監督として3度のJ1制覇。2018年ロシアW杯ではコーチを務め、2021年東京五輪では日本を4位に、2022年カタールW杯ではベスト16に導いた